インタビュー
ポップカルチュアとファインアートとしてのネオンに新しい可能性が・・・

坂野長美 さん
デザインレポーター

今回はサイン専門誌「SIGNS in Japan」や、国際本「サイン・コミュニケーション<CI・環境>T、U」などで、長年に渡りサインの現場を取材してきて、ネオンサインにも一家言あり、の坂野長美さんに伺いました。

サインの変化をずっと見ていらしたんですね。

 ええ、もう30年の余にはなりますね。戦後、デザインも私も若かった頃、時の売れっ子建築評論家・浜口隆一先生(故人)に師事したのがそもそものきっかけでした。その頃はサインと言えばデザインの中でも継子扱いだったような時代で、とくに建築家には嫌われ者。その傾向は今でも払拭されてはいないけれど、そんな中でいち早く建築から都市空間・環境にも視野を広げて、デザイン全分野の関係性の中でサインを捉え始めたのがあの先生でしたから。具体的には、東京オリンピック直後から70年大阪万博まで浜口事務所に勤めて、“戦後サイン”の開拓時代を実地に見聞してきました。

 SDA(日本サインデザイン協会)も先生が創立メンバーの一人を務めてこの時代に発足しています。当時ネオン界の大物だった竹岡リョウーさん(故人)を会長にかつぎ上げましてね。あの頃はサインをまず代表するものがやはりネオンで、関係者の皆さんもサインのリーディング分野としての意気高らかなものがありましたよ。

ネオンサインについてご意見を。

 私は業界のみなさんには申し訳ないけれど、もともと大型屋外広告サイン反対派で、SDAにもその立場から参加したものです。ただデザインの勉強以前のより素朴な目で見たネオンには、何かノスタルジックな記憶がありますね。銀座の森永地球儀型ネオンとか、四丁目角のニッポンビールなど。でも意識的にネオンを見始めたのは、やはり昭和30年代の伊藤憲治さんを皮切りとするトップ・グラフィックデザイナーの活躍以後ですね。亀倉雄策さん、山城隆一さん(いずれも故人)など。何しろネオンの屋外広告は、まだテレビ以前のあの頃の広告中でも花形分野でしたから。

 一流デザイナーの参加が戦後ネオンに、造形表現面はもちろんそのための技術開発とか、都市美意識という面でも大きい役割を果たしたのは確かだと思う。しかしそれでも大型広告サインに反対し甲斐があったのが、屋上ネオン広告塔全盛期のあの頃の日本の夜空でしたね。派手な色使いや奇抜な形など、あの手この手の目立ち方競争がエスカレートする一方でしたから。その一大転換期が、銀座のネオンも一斉に消えたと騒がれた例のオイルショックでしたね。それから長く低迷期が続いて、ようやく復活傾向を見せ始めた頃はもうテレビ時代、広告としては相対的地位低下と、竹岡さんなどもよく嘆かれていましたね。

 ところで、サインと屋外広告とネオンという言葉は、皆さん案外ごちゃ混ぜに使っていますよね。これは戦後生まれの屋外広告物法の法律用語が、一律にサイン全部に適用されてしまったことからくる混乱です。屋外広告はサインの重要な一範囲だとしても、広告ではないサインもまた大きい範囲を占めるし、屋内サインは法規の対象外だったりする矛盾も出てくる。もちろんネオンは使わないサインも多数あります。この辺でそろそろ言葉の問題も、ちゃんと整理し直すことも必要じゃないかと思います。

 もっと根本的には、サインは人間だけではなく生物の生命の営みの上で欠くことのできない要素としてある。蜜蜂や蝶を誘う花の色とか匂いもそうだし、魚でもマスやヤマメの婚姻色というのがありますね。しかし人間が他の生物と違ってきたのは、まず言葉を持ったこと。その伝達手段として絵が発生、やがて文字を発明して、シンボルによるコミュニケーションというサインの方法を、いわば人間だけが獲得した文化として成立させてきたところです。そんな文化の原点的レベルから生物の生命現象レベルまで、串刺ししたような深い根っこを持つわけですから、サインそのものは人類が存在する限りはなくならない。あり続けるわけですよね。

 しかし屋外広告としてのネオンサインが、これからもなくならないかどうかと言えば、どうも難しいところへ差しかかっている。広告全般における屋外広告のパイ縮小傾向の中で、より簡便で有効な新媒体も続出していますし。ここで思い出すのが、情報化時代の先駆的評論家として一時期ブームを呼んだM・マクルーハンの、「一時代の文明は過ぎ去った次の時代には文化となる」という言葉です。近代の都市空間はネオンサインで、それまでになかった光と色と動きのメディアを獲得しました。まさにメディアがメッセージ・・・これもマクルーハンのもう一つの有名な言葉ですけれど、そうしたメディア特性からくる文化としてのネオン再生の道が、これからは大きく開けてくる時代じゃないかと思うんです。

 例えばアートもその一つでしょうね。最近の遠藤亨さんのオリンパス・シリーズなど、その前触れのようにも見えます。彼はIT技術を駆使した版画で国際的にも活躍するアーティストであり、一方デザイナーでもあるという人ですが、低電圧ネオンなども真っ先に導入しながら実現したあの微妙な調光変化は、光のファインアートとでも言いたいようなものですね。オイルショックで中断された伊藤さん以来の流れが、もう一度今日的に再継承されたような思いもしています。

 一方アメリカではもう随分前から、ネオンアーティストと言われる作家たちも登場して活躍していますし、小野さんの本によると市民対象のネオン教室なども開かれているそうで、これも面白い動きですね。これらはもっと素朴なチューブタイプのものですけれど、そういうネオンの原点帰りのポップカルチュアと、ハイテク化最先端部のファインアートという二極分化は、これからもますます進みながら、ネオンサインの表現や用途目的にもまた新しい可能性を開いていくんじゃないでしょうか。

 いずれにしても屋外広告で、昔の夢よ今一度とはいかなくなった時代だということは確かでしょう。その辺業界でも進んだ意識の持ち主が、とくに中堅・若手の間で増えていらっしゃるようなのは頼もしい。今年で第二回目というネオンアート展なども、その一つの現れとして素晴らしい試みだと思います。またガラス工芸家の方々が、ネオンに興味を持って取り組まれ始めているのも面白いし、そうした異業種間交流が生む新しい成果もおおいに期待できますね。何しろ日本のネオン技術は今や世界一。それがいま問題の景観意識に結び付き文化にまで高めれれて、さらに多くの人々に支持され愛されながら日本の夜を彩る・・・・そんな未来を担う業界になって欲しいと願っています。

 

Back

トップページへ戻る

-----------------------------------

1998 Copyright (c) Japan Sign Association