インタビュー

山本一雄氏
映画館のネオンがまぶしかった頃
三軒茶屋中央劇場 支配人 山本一雄氏
 

 下町の雰囲気を残す三軒茶屋、通称“サンチャ”の駅から2分程歩くと見えてくるのは三軒茶屋中央劇場。建築探偵団ならずとも思わずシャッターを押したくなるレトロな建物の映画館がある。
 建物正面上に「三軒茶屋中央劇場」の文字看板が右から左へ流れている。その下に「特選映画封切場」。袖に「各社封切」とネオンサインがある。ユニークな河童のキャラクターが、なんともいい雰囲気を醸し出している。河童の映画館として半世紀前から地元のみならず近隣の映画ファンに親しまれている。道路を挟んで向こう隣にもう一軒「三軒茶屋シネマ(旧三軒茶屋東映)」という映画館もある。思いがけず映画密度の濃いエリアだ。
 訪ねた当日の「三軒茶屋中央劇場」の上映は「今宵、フィッツジェラルド劇場で」「ママの遺したラヴソング」の2本立て。週替わりでハリウッド系やミニシアター系の番組も押さえた名画座だ。

館内のいたるところに琺瑯看板。昔と変わらぬ鮮やかな色が美しい。
三軒茶屋中央劇場は入場料入れ替え無しで1300円(金曜日は1100円)
シニア割引60歳以上はなんと800円!シニアのお客様が増えたとのこと。  (電話03・3421・1656)

 二代目オーナーで支配人、山本一雄さんに話を伺った。
--袖にネオンサインがあるんですね?
 残念ながら故障してしまってそのままなんですよ。昭和40年前半まで点いていたんですが…。
--素敵な建物ですね。高い天井に広々したフロアー。ゆったりした空間がなんともいえずいいですね。
 親父が昭和27年7月16日に2館目として建てたんです。松竹系の封切館でした。その前に、大正14年に国道246沿いに「駒沢電気館」という映画館を作っているんです。当時は弁士がいて舞台下にピアノが置いてあった。弁士の給料は、当時の大卒の3倍だったんですよ。
 昭和20年5月24、25日の山の手地方の大爆撃でこの辺も焼け野原になってしまった。B29が470機、3600人が亡くなった。当時は「荏原郡駒沢村字馬引沢」といったんですよ。
 平成4年3月13日、246の方を閉めるまでは2館同時に運営していたんですが…。
--映画の黄金期だったんですね。
 昭和32年頃、裕次郎の頃は全盛でした。当時は映写室に4人いました。朝10時から夜10時まで、夏の間はナイトショーなんていうのもあった。昭和30年中頃がピークで、東京オリンピックの頃を境に衰退する一方で…。
--お父さんの跡を継がれたのはお幾つでしたか。
 空調などの建設総合設備の三機工業(株)という会社に勤めていましたが、辞めて昭和44年、33歳の時に入りました。その時、寅さんの第1回目だったのを覚えています。面白い“シャシン”だなと思いましたよ。あぁ“シャシン”って映画のことね。寅さんは48作も続いた。
 昭和46年からは日活ロマンポルノを上映しました。低予算でね、1本500万位で撮っちゃうんだから。でも活気があって良い作品もたくさんあった。
--凄い監督さんが沢山出ましたね。
 そうそう。神代辰巳とか根岸吉太郎とかね。
--タイトル看板が手描きですね。
 従業員が描いてくれるんですが。結構評判がいいですよ。
--いい味だしてますね。館の雰囲気にぴったりで。壁は漆喰ですか?
 事務室が楕円形なんですよ。使いづらいですよ(笑)。
--さて、山本さんの映画ベスト3は?
 アクションが好きだね。良い“シャシン”が沢山あるからね。「ローマの休日」のヘップバーン。「シェーン」のジャック・パランス、「荒野の七人」のマックィーン、「南太平洋」のバリハイの音楽、「赤い靴」も良かった。
--アッという間に5つですね。今観ても良い映画ばかりですね。

山本一雄さんは昭和11年9月25日生まれ。
とても古希を迎えた方には見えません。数字の記憶力が特に素晴らしい。
映写室の青木潔子さん。

(映写室で青木潔子さんに)
--ここでフイルムを回しているんですね。
 デジタルというわけではないのですね。比較的新しい作品なのに、このスタイルなんですね。

 たいていの館ではこういうスタイルですよ。この映写機は特に年期が入ってますが(笑)。
--フイルムは大きくて重そうですね。
 フイルムは通常1巻15〜20分に出来ていて、新規上映の時はそれを始まりから終わりまで大きなリールに巻き変えてセットします。最大2時間40分まで巻き取ることが出来て、重さは30から40キロになります。それを一人で持ち上げてセットする。セット位置は床から20センチ高いだけです。セットは大変ですが、1本上映が終わるまでは異常がない限り特別な操作はいらないんです。
--映画好きにはいいお仕事ですね。
 262席というとちょうど見やすい大きさですね。舞台から客席に降りるように階段があったり、客席の様子もなにからなにまで当時そのままの懐かしい雰囲気ですね。これだけしっかりした造りは今では見ることができないですね。
 若い女性の映画技師さんは珍しいのでは?

 そんなことないですよ。まだ1年半ですが、私の前任の方も女性でした。勤務は一日2交代制で、早番は上映開始の1時間10分前から準備します。以前は映画とは無縁の仕事だったんですが映画が好きで…。

 映画館にネオンが灯っていた頃は映画が娯楽の王様。ワクワクしながら映画館に集い、銀幕の裕次郎のかっこよさにシビレていたのでしょうか。
 ノスタルジックな映画館で見逃した話題の映画を観る。そんな定年後の楽しみ方もいいですね。
 外のネオンも是非復活して欲しいものです。

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