ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 87 
九州支部 (有)大分ネオン
徳永一士さん
徳永一士さん ――いつからこのお仕事を?
 子どもの頃から親父の仕事を見ていたので、見よう見まねでいつのまにやら。高校生の頃には現場に連れていかれてましたね。
――お父さんに手ほどきを受けたのですか?
 最初の2、3年は現場に出されました。それからネオン管曲げ。他の職人さんから教わりました。でも教えてもらってできるものではないですね。分かっていても手が覚えるまで繰り返さないと。仕事が終わってから一人で半端なネオン管をつないで曲げて練習して、3年経ってやっとお金が取れるようになりました。
――勉強熱心ですね。
 職人はみんなそうですよ。経営のこともあるので、全部のことができるように一通りやりました。「それで一番にならなくてもいいから、全部のことをある程度のレベルまでできるように」と言われましたね。
――中でもお得意は?
 そういうのはないです。営業から製作、現場作業まで、しいて言えばオールマイティが自分の強みですか。
――今後の展開は?
 うちじゃなければというものを現在模索中。
――ご趣味は?
 釣りです。県の南部はリアス式海岸があり、良い釣場が多いんですよ。四季折々楽しめます。
 
 う・ち・の・会・杜 99 
中国支部 (株)アド・セイシン
川原誠治さん

川原誠治さん (株)アド・セイシン設立は平成14年4月4日。ようやく7年目に入りました。
 親父は石川県の漆職人でしたが、出雲塗りを学ぶために松江にやってきました。本職の合間に漆に金箔を張り付けた特殊な木製看板を作っていました。親父の時代から60年近く看板業をしていることになります。家族7人全員が看板業に携わってまいりました。
 私たちは5人兄弟で、長男が社長を務め、何回か社名を変えながらやってきましたが平成14年1月に急死し、同年4月に(株)カワハラを終えることになりました。その後、私が引き継ぐことになり、社名も新しく(株)アド・セイシンと改め、今に至ります。
 社名のアドは広告、セイは私の名前で誠治(せいじ)、シンは三男の信治(しんじ)を取りました。社員は5名。
 私は高校を卒業後、広島クロード(株)に入社してから看板業一筋、もう40年になりました。
 会社のある島根県松江市は、今年は松江開府400年を迎え、来年5月には12年に一度の日本三大船神ホーランエンヤが開催されます。櫂伝馬船に歌舞伎風衣装を着て乗り込み、華やかで勇壮な祭りです。山陰の方へ足を運んでやってください。その節は是非我が社にもお寄り下さい。

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