私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.78
ワンパク小僧から看板屋への就職
     北海道支部 ワールドプランニング(株)  百日正勝

百日正勝さん  昭和30年4月1日、私は(株)フタバ堂に入社しました。ケンカ早く、ワンパク小僧だった子供のころから、絵を描くことが好きで、中学校担任の先生から「お前は看板屋になれ」と言われたのがきっかけです。
 しかし、絵が描けることに大きな希望をもち見習いとして入ったものの、来る日も来る日も顔料練り、刷主洗、ニカワ溶かし。こんな日々が3年位続き希望が薄れたある日、突然先輩から「文字の書き方を教えてやる」と言われ、勤務が終わってから文字の基本を毎日習い続けました。
 それから1年後、初めて看板に文字を書く事が許され、絵を描く事も文字を書く事も同じ面白さがあると感じたのを今でも覚えています。同時に、この頃からネオンに関心を持つようになり、現場で先輩にネオンについて教えてもらうようになりました。
 その後、ネオンの現場も多くなりましたが、屋上での作業、冬の寒さには閉口しました。でも、ネオンが点灯した時の感動は何ものにも代え難く、どんな苦労もこの瞬間に帳消しになるほどでした。
 上京し、知人の紹介で世田谷区のある撮影所に勤務したのは18歳の時。スタジオセット、特撮の模型作りなど、とにかく毎日が大忙し。看板とは異なる様々な技術を習得しながら、3年半働きました。その後母親が癌で他界したのをきっかけに札幌へ戻ることになりました。
 帰札後はフリーとしていろいろな看板屋さんから仕事を貰い、バイク1台で奮走。苦しいながらも楽しい時期でした。書き看板が少なくなり、樹脂系看板、特に袖看板類が多くなってきたのは、この頃からでしょうか。そして、旭川イサミヤ社長の指導で北海道のネットワーク会社を作ることになったのも同時期でした。会社名は、北海道アドサービス(株)。袖看板取り付けの専門会社の誕生です。
 約7年後の、昭和52年2月、ワールドプランニング(株)を設立。
 道内一円の看板製作、ネオン等製作施工、管理、大型ロードサイン媒体製作施工管理業務等請負、大型物件施工、管理等を今日まで20年以上にわたって行ってきました。
 自分なりに勉強も必要と、アメリカの知人の紹介で、ラスベガスへ行き、管理方法、大型サインボード製作、基礎現場施工等を学び、更に、ネオン製管技術、LED工事、光ファイバー応用技術、メンテナンス(オレゴン州)を習得。また、ロス、ディズニーランド内にファイバービジョン施工(ディズニースタッフ3名参加)光ファイバー飛行船用胴体に取り付け(動画)テストフライトに参加した事も大きな経験でした(この時の模様は、全米のテレビ番組で放映されました)。
 その後、2年に1度位の割合で、イタリア、カナダ、オランダ、メキシコ、ベルギー、フランス、韓国、台湾、タイ、ベトナム、オーストラリア、シンガポール、香港、アメリカ西海岸、シアトル〜サンディエゴを視察。多くの国で、技術や応用術を頭に叩き込んできました。
 それでもまだまだ勉強不足。今後は、後継者育成に努めながら、一生懸命邁進していきたいと思っています。



Back

トップページへ戻る



2008 Copyright (c) All Japan Neon-Sign Association