私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.79
奮戦前夜
     九州支部 月山ネオン(株)  高橋富夫

高橋富夫さん  先日、九州支部・中田理事長よりいきなり電話があった。
 「NEOSのネオン屋稼業なんちゃら…の原稿書いてやらんね。九州の人はみんな出してるけん。あんたの番たい。」
 「俺の番なら仕方なかね。」
 承諾はしたものの、私はどう考えても奮戦らしき事をまったくしていないのだ。さて、どうしたものか。前号までの記事を2、3読んでみたが、皆さんよう頑張っておられる。参考にはまったくならず「私ごときが」という感じだ。この日の為に一つ二つ奮戦しておくべきだったと後悔しても今からでは間に合わない。なので気ままに過ごしてきた足跡など少し書いてみたいと思う。
 私はこの仕事しかした事がない。よそ見もせず、それ程忙しかったわけでもなく、何となく過ぎた。他の事を考えるのが面倒なだけだった。私は面倒がりやで飽きっぽい。どちらかというと楽な方を選ぶ。他人と比べるのも比べられるのも嫌である。とりわけこんな性分なので一度ついた仕事を変わるのが面倒なだけだったのだろう。今考えてみると、特別ネオンが好きだったわけでもない。ましてやネオン屋になるなんて思ってもみなかったのに、いつの間にか周りの人にやらされていたというのが本当だったかも知れない。43年間、ずーっとネオン屋だ。
 社名を『月山ネオン』という。私は山形の小さな田舎村で生まれ、毎日月山を眺めながら最上川や寒河江川で魚取りをして育った。小さい頃から慣れ親しんだ霊峰・月山より勝手に拝借して社名にした。(後日了承は頂いた)初対面の人はたいてい「ツキヤマさん」という。「いや違います、ガッサンです。」といえば「何を合算するんですか?」と…かえってややこしくなる始末。なので今では「はい、そうです。」と答えている。
 毎年8月13日は頂上にある月山神社に参拝するのが恒例になっている。毎年商売繁盛を祈願しているのだが、この頃は寶銭が少ないからか、なかなか聞き入れてもらえない様だ。
 昭和41年春、山形駅21時発、急行蔵王だったと思う。俗にいう集団就職列車で上京、翌朝5時頃上野駅に着いた。ものすごく尻が痛かった。駅には就職先の社長さん風の人やおかみさん風の人、迎えの人で大混雑だった。それぞれ手を取り合って三々五々、まだ明けやらぬ都会の中に消えていった。
 私の就職先は神戸だった。上野では誰も迎えなど来るはずもないのに駅で一人になり、かなり心細くなっていたことを覚えている。神戸に行く前に東京で2、3日遊んで…のつもりが1週間、10日と過ぎ、神戸まで行くのが面倒になった。スポーツ新聞の求人欄を見てキハラネオン製作所に入社した。ネオンのネの字も知らなかった。先代の社長が面接してくれた。次の日から働いていた。その時がネオンと私の初めての出逢いだった。
 もしあの時真っすぐ神戸に行っていれば、あの新聞を見なければ、全く違った人生があったのかも知れない。良かったのか悪かったのか、向こうの方をちょっとのぞいて見たい様な気もする。
 当時のキハラネオンさんは本社が福岡という事で、その殆どが九州の人だった。福岡では西鉄ライオンズの全盛期、神様・仏様・稲尾様の時代である。田舎者の私にとってはみんな個性的で、まさに野武士軍団に見えた。どういう意味かは想像して下さい。
 皆さんには色々な事を教えてもらい随分可愛がっていただいたのだが、翌年福岡のある会社から誘いを受けた。
 雪国で生まれ育った私には、暖かいところに人一倍憧れがあり、二つ返事で福岡に来た。だが入った会社が3カ月で倒産。その上寒いところが嫌で九州に来たというのに、その年の暮れ、福岡は60年ぶりの大雪だった。
 その後、2、3回会社を変わった。変わるたびにいろいろな人と出逢えた。
 昭和46年独立。翌年結婚、3人の子供にも恵まれた。
 仕事での客先はソープランド・ストリップ劇場・パチンコ屋さんが主で、殆どがネオンの仕事だった。近頃はネオンの仕事がめずらしくなった。困った事である。また昔のようにネオンが蘇ってくれる事を心から願っている。
 趣味は?と聞かれたら、釣りとかゴルフとか答えている。(どっちも大した事はない)お酒も大好きである。(この頃めっきり弱くなった)これからはウォーキングと答えるようにしよう。
 もうそろそろ次世代にバトンタッチしたいところだが、まったく先が見えない不安材料ばかりだ。これではバトンタッチされた方がたまったもんじゃない。麻生さん小沢さん、何とかお願いしますヨ。昔から景気は良くなったり悪くなったり、今が悪けりゃあ必ずまた良くなる事を信じたいですね。
 自分ひとりじゃ何にも出来ない。いろいろな人に出逢い、いろいろな人に助けられ、今までいただいた恩は誰かに返さなければならないのに、いただいてばかりで返す事を忘れてる自分が恥ずかしい。
 これからは少しでも返す事を心がけたい。感謝。



Back

トップページへ戻る



2008 Copyright (c) All Japan Neon-Sign Association