私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.80
時代の推移と共に邁進の40年
     関東甲信越支部 賛助会員  小川禎造

小川禎造さん  1955年(昭和30年)から1959年(昭和34年)にかけて電気工学とグラフィックデザインを習得いたしました。幸いにも第44回二科展の商業美術部門に入選し、上野の東京都美術館と大阪市立美術館にて巡回展示されたのが一つの切っ掛けで、1960年(昭和35年)4月に大阪クロードより東京クロードへ転勤する事になりました。
 ネオンサインや電飾サインを業とするべくデザイン、電気、構造や設計の道に進む事になりました。1960年初頭昭和35年から38年にかけてネオン業界の華やかな時代でした。
 ここでデザイナーは我々の業界のみならず日宣美の有名なデザイナーがこぞって参加し「ネオン銀座の演出家たち」というタイトルで総合報道創刊5周年記念として1963年(昭和38年)特集が組まれました。小生もその中の一人として資生堂のネオンで紹介されました。大変光栄に思っております。
 さて、機も熟し1965年(昭和40年)3月に竹岡リョウー氏を会長とする日本サインデザイナー協会(SDA)の創立総会が東京プリンスホテルにおいて開かれ、多数のサインデザイナーが参加しました。現在は社団法人日本サインデザイン協会となっております。
 1965年(昭和40年)5月25日より17日間ディスプレイ米国屋外広告視察団の一員として初めてニューヨーク世界博覧会視察及び各関係会社訪問という目的でクライアント1名、エージェンシー3名、メーカー5名と随行員1名の計10名で行きました。はっきり言って全員が英語を満足に喋れず、単語だけを並べての珍道中でした。しかしサインとしてのデザイン、構造等は充分収穫があり役に立ちました。
 そして翌年第1回SDA賞贈賞式が同じ東京プリンスホテルで行われ、資生堂サインで入賞し、東京都屋外広告コンクール、SDA賞、電通賞の3賞を頂きました。
 1968年(昭和43年)に社団法人全日本ネオン協会設立に当たり全ネ協のシンボルマークのデザイン募集がありましたが、そのままにしておりました。ところが暫くたってから当時の山口会長と奥野事務局長の要請により応募したところ偶然入選いたしました。因みに審査委員長は伊藤憲治氏で賞金を頂きましたが使途不明です。
 1970年(昭和45年)7月より指導教育委員会がネオン工事教科書の編纂にとりかかりました。発足メンバーは梅原氏、井上氏、奥野事務局長と私の4名でした。実に20回にわたり会合をし、やっと1972年(昭和47年)1月に第1版発行のはこびとなりました。
 続いて10月に第2版というように進んでいきましたが、1976年(昭和51年)以降、岩井氏、三谷氏、島崎氏、鈴木氏等強力なメンバーが加わり、1987年(昭和62年)教科書見直しへと進みました。
 平成元年になって第5版を発行し爾来10年ぶりに改訂特別委員会が開催され、2000年(平成12年)6月25日に新しいメンバーによって現在の「ネオンサインの知識と実務」というタイトルで刊行されたのであります。
 この間私も1994年(平成6年)に東京クロードを辞し、株式会社ナックを設立しましたが、まだ景気が回復基調にあらず厳しい船出となりましたが、徐々に集まって来てくれた社員と力を合わせて何とかやってきました。これも偏に業界の諸先輩、上司、同僚に恵まれた結果で感謝申し上げる次第です。
 その後1997年(平成9年)8月30日から 10日間SDAでヨーロッパサインツアーに参りましたが、余談ですが奇しくもイギリスで8月31日ダイアナ妃の逝去に遭遇し、大変な騒ぎになった事を思い出します。
 さて、ロンドン、ブリュッセル、デュッセルドルフ等を巡り「サインヨーロッパ1997」を視察の後、英国サイン協会やドイツのサイン業者等との交流パーティがあり、有意義に過ごしました。やはりアメリカのサインとは違った落ち着いたサインであり、双方の良さを感じ取りました。1999年(平成11年)4月27日より1週間、全日本ネオン協会主催のISAサインEXPO視察に参加し、ラスベガスのサイン、ロサンゼルスのネオンミュージアム等を見学しました。これらが私のデザインソースになれば良いと思っています。
 ネオンサインのデザインと共に光のサインへとシフトし、現在はLEDサインとその照明も手掛けています。
 振り返って見れば1970年(昭和45年)4月に完成した渋谷の仁丹の壁面でR.B.Gの3色でレインボウカラーを出し、時間によって単色で静止しパブリックな表現をしましたが、考えてみるとネオンは最初からR.Bがあり、そして蛍光塗料により多数の色ができましたが、ベースはアルゴンガスと水銀で白色、寒色系が容易でした。
 それに対してLEDは最初はR.Gだけでしたが、ご存知の通りBが発明されてフルカラーになりましたが、色彩の点ではネオンの方が歴史がありますが映像には勝てません。ネオンサインはさまざまな色彩で豊富な点滅が出来ますが、ビジュアルサインとしては限界がありました。そこで登場したのがFFシートです。
 素晴らしい風景画やリアルに商品を表現するのに最適でしたが、残念ながら動きが無いという事で看板面の動きとして出来てきたのが磁気反転式のいわゆるQボードです。これは昼間重視ですが、当時は場面が変わるという画期的なビジュアルサインでした。しかし残念ながら夜間には外照されてもインパクトが少なかったのです。
 結局時代の流れで光も動きもある映像のLEDフルカラーにとって変わられました。しかし、今の時代はあらゆるものが出て来ていますが、要はお互いのよいところをコラボレーションする事によって素晴らしいサインを作り上げるのが私達のクリエイティブな仕事だと思います。
 生意気な言い方ですが我々が自信を持って製作し、その作品に感動しなければ相手に感動を与える事は出来ません。これは感性の問題だと思います。したがってこの業に携わる者としてこれ等が要求されると思います。
 勿論諸先輩が持ち合わせた良いものを受け継いでいく事が大切だと思います。この不況を乗り切り、皆で知恵を出し合い頑張りましょう。



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