私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.82
何時の間にか、ネオン屋に。
     関西支部 (有)創美  福井雅美

福井雅美さん  思い起こせば約40年程前、ひょんな事から何も考えずに看板屋さんという仕事に入りました。もちろんその時は生涯の仕事になるなんて思わず軽い気持ちでした。たまたま親父が一人で広告業という仕事をしており、私は会社務めをしていましたが、親父が看板屋をやってみないか…と。ほなやろか!てな具合で始めました。
 元々ものを創る事は好きでしたし、趣味で電気関係、特にオーディオが好きでしたから、何か縁があったのかも。それにしてもずぶの素人でしたから、最初は親父の知り合いの看板屋さんで丁稚奉公して、看板屋さんてこんなもんや、ということを教えてもらいました。
 1年間お世話になった後、社長さんに他の看板屋でも経験したいのですがよろしいですかと、お願いをして了解してもらい、次の看板屋さんで1年間がむしゃらに勉強させて頂きました。その後、素人に毛の生えたような状態で小さな看板屋さんを始めました。その時の屋号が今の会社の前身で、創美広告と付けました。最初は私と弟、二人で始め、仕事を頂き一つ一つ創る度に勉強させて頂き、また経験させて頂き、こんな状態でお客様から代金を頂けることが申し訳なく、また有り難い思いでした。
 その頃私が唯一尊敬できる(多分今でも唯一だと思っています)社長さんから色々なことを教えて頂き、やがて大きなサイン工事も任せて頂けるようになり、感謝の思いでいっぱいです。
 当時スタッフは私を含めて4人になり、喫茶店やブティックなどのストリップネオンも少し手がけていましたが、仕事を始めて6、7年目の時に大阪方面で大型の屋上ネオン塔の工事をさせて頂くチャンスがありました。私にとって初めての経験となるもので図面通り出来上がるだろうか?納期は大丈夫だろうか?という心配と、こんな大きなネオンサインを創ることが出来るんだという喜びとが入り交じって複雑な心境でした。4人で創って4人で現場の取り付けも、というハードスケジュールの中、仕上がった時の喜びと感激は一入のものがありました。あの頃は若さで突進していったんだなあという実感がありましたね…。
 その後幾多のネオンサインの経験もさせて頂き、1984年(昭和59年)4月1日〜4月11日の間、総合報道主催の第17回米国屋外広告業界視察団に参加させて頂き、NESE(全米電飾サイン協会)資材展と現地関連会社視察もさせて頂きました。とても良い体験をさせて頂き、参加して本当に良かったと思っています。
 ラスベガスのネオンサインのスケールの大きさとそのネオン工事に携わる、ヤングネオンの何につけても圧倒されるスケールの大きさ!特に感じたのはラスベガスのネオンの修理と点検に一人で高所作業車に乗って行なっているのを見て安全性と効率性から、即導入すべきだと思いました。
 帰国して、先ず梯子付きトラッククレーン車を導入。1987年新社屋完成時に高所作業車1台、翌1988年に高所作業車2台、1990年に、高所スーパーデッキ車と大型トラッククレーン車各1台導入し、後で述べるパチンコ屋さんのネオンサイン工事の際に大活躍したことは有意義な視察旅行の賜物であったと感謝しております。
 さて、先程の話ですが、1985年(昭和60年)頃、折しもパチンコ屋さんの郊外型出店が始まった頃、不動産関係の仕事をしている身内からの紹介で、初めてパチンコ屋さんのネオンサインを手掛けるチャンスがありました。デザインのプランニングも気に入って頂き工事に入った時感じたことは、この業界は短期間で完工させることが一番だと思い、戦力がないと戦えないなと実感しました。
 1987年新社屋に移った時スタッフも15人くらいになり、協力会社、応援メンバーも5社くらい確保し、これから始まるパチンコ屋さんの郊外ラッシュに対応できたことはありがたいことでした。営業力とデザインのプランが気に入って頂き、パチンコ屋さんのオーナーさんよりの紹介でネオンサインの仕事は嬉しい悲鳴となり、超ハードスケジュールで、早出、残業の毎日が続きました。
 当社の前の道を通って通勤している知人から「創美さんのところは一体何時仕事終わるの?朝、早く出勤の時にはもう開いているし、残業して遅く帰る時もまだ開いているし?」と、不思議そうに言われるくらいの毎日でした。パチンコ屋さん以外にも、ラブホテルのネオンサインもあり、そのころ私も仕事が面白く、営業が楽しく、若さもあってか、近畿一円、四国、中国方面、挙げ句の果て、東北、関東、東海方面まで走り廻っておりました。
 いやぁー、若かったんやね!今やったら考えられへんわー!(笑)
 工事車輌の方も、高所作業車、クレーン付きトラック、運搬用トラックだけで10台あり、私の中でこうでないとあかんという一つのこだわりというか思いがあって、乗用車なんか掃除せんでええ!そのかわり工事車輌の方はいつもタイヤからボディ、ピカピカ!にしておけ!といつも喧しく言っておりました。なんでやと言うと現場で工事をしている車がピカピカやったらお客さんも見ている者も気持ちがええやろ!仕上げたネオンサインや看板をピカピカの車に積んで運んであげたら、積んだ品物を見ても気持ちええやろ!例えば婚礼の時に花嫁さんの荷物運ぶトラックかてピカピカに磨いてるやろ!汚い車に積んで運んでこられたら荷物まで汚く感じへんかって!ほんまにそう思うんです。えらい長々とこだわりについて書いてしましたけど…(笑)。
 話変わりますけど、最近ネオンサインの需要がLEDに押されてめっきり減ってしまい寂しい限りやけど、ネオンには他には無いネオン独特の色合いや美しさがある。それをアピールする良いアイデアが無いか、悪い頭で毎日考えています。
 何かヒントがあったらご教授ください。



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