DVD録画コレクション増殖中

 

  NEOS編集室 編集顧問 小野博之


 20世紀は映像の世紀といわれる。21世紀はその映像が更に精細緻密に鮮明さを加え、かつ個人が容易に手にすることを可能にした世紀といえるだろう。デジタル技術の進歩がそんな世界を作った。世界はまさに映像に溢れている。それは社会が絵画にその使命を託していた19世紀までとは大違いだ。
 例えば、私はテレビの美術番組をよく観るが、20世紀以前の人々が名画を目にすることはきわめて難しかった。尾形光琳の紅白梅図屏風が素晴らしいと聞いてもそれを見ることが出来るのは光琳の知人か特権階級の人たちだけだろう。それもわざわざ絵のある場所まで足を運ばなければならない。どんな絵画も工芸品も建築も、望むものはなんでも映像という形で目にすることの出来る現代とは何と素晴らしいことか。
 私は目下テレビ番組の録画に意欲を注いでいる。かつてのビデオは画質が荒く鑑賞に不満があった。それがDVDになってから生の放送を見るのと何ら変わらない精度で映像を楽しむことが出来るようになった。しかも宇宙放送やデジタル放送の充実でテレビそのものの鮮明度が飛躍的に向上している。画面も液晶で大型化しているから映画館で観るのとたいして遜色ない。
 録画するものは映画番組、美術番組、歴史番組、科学番組、音楽番組と多岐にわたる。中でも特に熱を入れて録画しているのは映画番組だ。過去に観たものは全部録画する。それに加え見損なった名画や当時の話題作、最近評判になったものなどきりがない。
 私がビデオ時代に録画し始めた頃はビデオテープが1本2千円以上したから録画は保存するためではなく、観そびれた番組をあとで観るためだった。見終わったものは消して新しい番組を次々と録画していった。テープはその後ドンドン安くなり2004年ごろには130円台まで落ちていた。何と出始めのときの20分の1程度だ。だから観終わったものもこれはと思うものは消さないで保存した。でも、その後すぐに時代はDVDの世紀に変わった。2003年、私が始めて購入したDVD盤は1回録画タイプで330円、繰り返し録画タイプなら660円だった。それが今ではデジタル放送1回録画用でたった50円台なのだ。(ケースに入っていないものなら30円台)だから録画コストは以前と比べてタダ同然といってもよく、そのため録画枚数がどんどん増えていくことになる。
 有料放送のWOWOWは朝から晩までほとんど映画をやっている局である。以前はこれを入れたら時間を拘束されて困るから契約を控えていた。でも、実務から遠のいた今なら問題はない。このWOWOWに加え映画をよくやるNHKのBS放送、デジタル放送と、毎日番組表とにらめっこしながら予約録画している。多い日は4本も5本も録画することになる。放送によって時間が重なっても手持ちの録画機は2台で、うち1台は同時録画が可能だから問題ない。
 昔は映画観賞は1回限りのものであり同じ映画を2度、3度と観ることはよほど感銘したものに限られた。しかし、映画とはストーリーだけ理解すればよしとするものではない。俳優の演技、衣装、音楽、舞台となる土地、建物、インテリア、料理等あらゆる要素が鑑賞の対象となる総合芸術なのだ。とても一度観ただけで理解尽くせるものではない。ビデオ時代の到来はそんな映画の新しい鑑賞方法を可能にした。例えばレコードを好きな楽章だけ何度も聴くように、映画の決定的シーンを何度も味わう見方が可能になった。最近は、1本2時間程度の上映時間を拘束されるのは負担だから何回かに分けて観ることが多い。昔観た感動作はトップシーンだけ観て思い出を呼び覚ますこともできる。
 映像時代ならでは、中にはもう再会する機会はないだろうと思っていた映画にめぐり合えることも多い。つい最近も青春時代に観たジェームス・ディーンの「理由なき反抗」や邦画の名作戦争映画「野火」(市川崑1959年)「真空地帯」(山本薩夫52年)等もう一生観る機会はないだろうと思っていた作品をやった。息子が幼少のころ一緒に観た連続アニメ番組も最近再上映されているのが嬉しい。「母をたずねて三千里」もそのひとつ。これは宮崎プロダクションの初期の作品だが背景となる風景や建物がしっかりと描写されていて大人でも十分に引き込まれ感動させられる。これは1回25分で54回のシリーズ番組だったがDVD5枚に分けて全部録画した。現在はBS 11で「トム・ソーヤの冒険」をやっているがこれもすこぶる面白い。目下毎回録画中である。
 家にはビデオ時代に録画したテープが相当数ある。今見直してみると画像のひどさにびっくりさせられる。よくもこんな画像で我慢していたものだと思うが、あの時代はこれしかなかったから仕方がない。スペースもとるから処分しようかとも思ったが、せっかく録画したものを捨ててはもったいない。今後再上映される機会もないかもしれない。現在それらをDVDに再録画する作業を進めている。その後上映されたものは再度録画し直す。
 同じ映画でもテレビ局によって画像の鮮明度にかなりの違いがみられる。「タクシー・ドライバー」(マーチン・スコセッシオ1976年)もそんな一つで、後日他の局で録画し直しその差にびっくりした。フイルムの保管状況によって劣化したものとそうでないものがあるのだろう。そうかと思うと、かつて素晴らしいダンス場面で魅了された「赤い靴」(マイケル・パウエル48年)はあまりの画質の悪さにがっかりさせられ、念のため市販DVDを買って比較してみたが結果は同じだった。
 ルキノ・ビスコンティ監督の秀作「イノセント」(1975年)にはラウラ・アントネッリというつつましやかな美女が出ている。劇場版には一瞬彼女のヘアが映っている場面があった。かくも魅力的な女性がここまで見せてしまう演技精神に感動した。テレビでも期待して録画したところ案の定というか、その部分だけアミが入っている。そのまた後日別の局でこの映画を再上映したのでこちらはどうだろうと思っていたら何とそのシーン全体がカットされているのだ。まじめな話、それはないでしょう。ここはストーリーの勘所といってもいい場面だったから名画に対する冒涜ではないか。
 これだけテレビ上映が多い中、私が渇望しながらまだ一度も上映されていないか、見逃した作品もかなりある。それは名画として評価されながらあまり一般受けしないからだろう。しかし、そんな映画にこそ映像美としての本物の面白さがある。例えばイェージ・カヴァレロヴィッチの「尼僧ヨアンナ」(62年)やヴェルナー・ヘルツォークの「フィツカラルド」(82年)などである。ビデオ時代の上映で録画してはあるものの、その不鮮明さから再上映を心待ちにしている作品は同じヘルツォークの「アギーレ・神の怒り」(72年)、アンドレイ・タルコフスキーの「ストーカー」(79年)や「惑星ソラリス」(72年)、ベルナルド・ベルトリッチの「シェルタリング・スカイ」など多数ある。年数を経たものほど上映の機会は少なくなるが果たして再上映はあるだろうか。古い作品に比べて最近の映画はアクションやCGなどで技巧的だが、いかにも軽い作品が多く重厚さに欠ける。
 録画は堅いものだけではなく「ジュラシック・パーク」シリーズや「ハリー・ポッター」シリーズなど子供向け映画、娯楽映画にも及ぶ。
 そんなこんなで録画コレクションは爆発的に増殖しつつあり、現在の録画ストックは映画以外のジャンルも含め2000枚に届こうとしている。そんなに録画したところで一生見直す機会のない作品も多いことだろう。しかし、こうなると録画そのものが趣味であり止められない。ビデオライブラリーとして観たい人には是非活用していただくことを期待している。


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