点滅希

 
 陰翳礼讃  
    

 こんな時期だからと薦められ、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を読んだ。西洋の新技術で我々は生活の利便性を手に入れたが、日本古来の文化を損ねたというエッセーである。明るい電燈の下では、調度も料理も本来の美を堪能できない、蝋燭の仄かな光りでこそ映えるものなのだと論じ、「どうも近頃のわれわれは電燈に麻痺して、照明の過剰から起る不便と云うことに対しては案外無感覚になっているらしい。」と言う。
 昭和8年、78年も前のものだが、今の我々の思いに符合してしまうことに驚く。震災による電力不足から照明を落とした生活の中で、今までは何もかもが明るすぎた、そう気付かされたのは確かだ。
 しかし、明るさを否定することが善とは限らない。旧いものを愛でるのには、それが作られた時代と同じ光りの下で観るべきだと思う。だが、暗いほうが何でも美しく見えるとまで言ったら、それは荒が目立たないだけの話だ。我々は、暗い空間での生活をしっかり見つめ、改めて明るさがもたらす幸福を認識すべきだろう。
 覇を競ったネオンも束の間の夢、ひとときの徒花だったのか、などと悲観してはならない。石造りの建築にチューブオンリーのネオンが映える彼の地の文化は素晴らしいが、今の日本では叶わぬこと。日本なりの都市景観が熟成してゆくなかで、明るく美しいネオンサインを産みださねばならない。

(頑)

Back

トップページへ戻る



2011 Copyright (c) All Japan Neon-Sign Association