私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.97
人生のターニングポイント
     九州支部 光サービス(株) 安藤光男

安藤光男さん  はじめまして。私は宮崎で屋外広告の会社を経営しております。
 私はネオンや屋外広告等に携わった事も無く、車の整備士と営業をしておりました。
 その頃は、ネオンの光など気になる事も興味も無かったのです。ですが、私の人生に大きく影響を与える出会いがありました。それは私の妻です。妻はネオン関係の会社に勤めており、その時初めて「ネオン」と言う言葉とさまざまな形・色に感銘を受けました。次第に「私もこの仕事をしたい」という思いが強くなり、長年働いておりました整備工場の退職を決意し、地元のネオン会社に就職いたしました。
 初めは慣れない仕事に苦労の連続で、すぐに挫折感が沸いてきました。元の職場に戻りたいなど色々ありましたが、やはりネオンが好きなので必死に技術を学びました。
 ネオン会社に就職して2年が経ちました頃に独立を決意し、昭和60年9月に実家の庭先を借りて小さなプレハブ小屋を建て増をして会社を創業・設立致しました。
 最初は小さな仕事ばかりでしたが、自分の夢に近づく為に妻と必死に頑張りました。でも徐々に仕事が無い空白の日が続く日常になりました。いつのまにか自分が描いていた理想と掛け離れてしまい、金銭的にも余裕が無くなり塞ぎ込んでいた私に妻が「東京・大阪の広告代理店さんに挨拶に行こう!」と提案したのです。予想外の提案に心底ビックリ!私だけが勝手に諦めていて、妻は諦めるどころか前向きに考えていたのを知って己の気持ちの弱さに情けなくなりました。それからすぐに東京・大阪の代理店さんに挨拶に行きました。仕事を任せて貰えるまで何度も何度も挨拶に行きました。
 それから少しずつ仕事を任せて貰えるようになり、他の業者さんからの紹介も増えてきました。仕事が軌道に乗り始め、仕事が増えると同時に工場が手狭になり「広い工場を建てて仕事の環境を良くしよう」という思いが強くなり、会社の移転を考えるようになりました。
 ようやく工場新設の目処が立ち、3年後の63年に工場を建設し、移転を機会に念願だったネオン広告塔、大型看板などを手がける事となりました。大手代理店様との取り引きも本格的に始まり、平成2年に光サービス有限会社を設立し、5年後の平成7年に光サービス株式会社を設立致しました。
 会社設立当時には考えられなかった従業員を募集し、仕事の幅を増やすと共に、移転前までは出来なかったネオン広告塔や大型看板などの製作、取り付けや県外の仕事にも参加出来るようになりました。
 大型看板の受注をきっかけに、平成9年に工場を増設し、新たな生産の拡大を目標に今日まで走り続けています。今では娘や娘婿も共に働き、会社を支える一員となり主力に成りつつあります。仕事を始めた当初は、跡継ぎの事など念頭になく一代で廃業だと当たり前のように思っていた私にとって、会社を存続させようという娘や娘婿たちの気持ちが嬉しく、会社を設立して本当に良かったと思える瞬間でした。
 今考えると、私の妻がネオン関係の仕事をしてなかったら今も整備工場で整備士や営業をしていたと思います。そしてあの時「挨拶に行こう」と提案してなかったら、仕事を辞めて他の事をしていたと思います。私の人生のターニングポイントにはいつも妻がいるのです。本当に妻には感謝しています。
 宮崎と言えば「ネオンの光が綺麗」と言われる街になれるように焼酎の知名度に負けないくらい宮崎の街にネオン、LEDを通して皆様に感動や笑顔を引き出せるようなネオン、LEDで彩り広告を作って行けたらと思っております。
 余談ですが、私の趣味は焼酎収集です。九州はとても焼酎造りが盛んな地域です。宮崎にも多くの焼酎があります。宮崎名物地鶏のもも焼きと一緒に焼酎を飲んではいかがでしょうか?とても美味しいので是非お試し下さい。
 弊社はまだ創業28年の小さな会社です。社員一同、力を合わせて更なる飛躍を目指して頑張って参ります。



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