私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.99
「ホームにて」
     中国支部 (株)三景電飾 中野英隆

中野英隆さん  “ふるさとへ向かう最終に乗れる人は急ぎなさいと”で始まるこの歌は、中島みゆきの“ホームにて”という歌です。最後のフレーズはこうです。“ネオンライトでは燃やせないふるさと行きの乗車券”
 都会に憧れて福岡から上京し、大学の四年間社会的責任もお金もなく、唯、時間だけが膨大に余っていて、かといって勉強する訳でもなく、やたら友達とたむろしバイトで稼いだお金で夜の街を飲み歩き、なんともやりきれない焦燥感のなかで、いらいらした毎日を過ごしていました。
 確か初冬の黄昏時だったと思います。街路灯に灯がともり店の灯りがつき始めるころ、店先から中島みゆきの歌が流れてきました。その歌のメロディーのやさしさ、せつなさ、郷愁を誘う内容に心を打たれました。なかでも最後のフレーズが流れるところでネオンがつきはじめ、その灯りの温かさや懐かしさに感動したことを思い出します。ネオンの灯りがこんなにも人の心を穏やかにしてくれるものとは思いませんでした。もう三十年も前の話です。
 紆余曲折を経て、今の会社に就職し二十年が経ちました。まさか自分がネオンの仕事に携われるとは思ってもいませんでしたが、何かの縁だと思ってとにかくネオンの勉強をしました。
 店先の小さなネオンサインにはその温かさが感じられるように、その看板を見ていい店だなと思ってもらえるように、何百台ものトランスを使用した塔屋サインは遠くからひと際目立つように、その看板を見てきれいだなと思ってもらえるように、試行錯誤しながらいろいろなネオンサインを取り付けさせてもらいました。
 ネオンの中身を熟知すればする程、客観的にネオンを見ることができなくなり、昔感じた景色のなかに同化したネオンという意識は次第に薄れていきました。それは仕方の無い事だとは思います。しかしネオンサインを見る人が心を癒されたり、その街が好きになったり、ガンバロウと思ったりできればすばらしい事だと思います。その手助けとしてこの仕事に携われるのはすばらしい事だと思う一念でネオンを取り付けてまいりました。
 そのネオンもここ最近、地球温暖化や環境問題等により需要が極端に減少してきました。新規のネオンサインの発注など皆無に等しい現状です。それに今は店舗を構えなくても商売ができる時代です。インターネットの中では何億もの店舗がひしめいています。極端な話、看板が無くても商売ができる世の中です。インターネットの普及によって世界は格段に便利になりました。しかしその反面失われつつあるものも数多くあります。ネオン業界におきましても逆風ばかりで追風になる要素は数少ない現状です。その中でもネオンの灯りを絶やさない方法を見出さねばなりません。



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