私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.101
ネオンのヒカリ…
     中部支部 平和ネオン電気工業(株) 水谷卓司

水谷卓司さん  大学卒業後、私は東京の電気工事会社で現場代理人として、3〜4年働いていました。
 現場の工程会議に出ても電気配管の工程がなく、「いつ配管するのですか?」と質問すると「夜、夜」と当り前のように言われ、冬の寒空月明かりの下、職人さん達を手伝ったり、雑用をしたりしていました。電気屋って、最初から最後まで現場にいて工程もろくに貰えず、なんて存在感の薄い職業なのだろう。仕事の選択を間違えたかなと思ったこともありましたが、設計図面を、施工図にする時、設備屋さんと打合せをし、そのまま一緒に夜の町に飲みに…、なんだかとても楽しくもありました。
 名古屋に戻り、親の会社に入る事になり、それからもうかれこれ36年になります。
 幼い頃から、ネオンの仕事は、身近で見ていたのですが、自分がこの仕事に携わって改めて夜空に輝くネオンを見るにつけネオンのヒカリの魅力、素晴らしさ、暖かさを感じました。
 当時はネオン管曲げの職人は2人いましたが、彼らが細い管を、生きているかの様に自在に曲げ、原稿通りに形成して行く様子に魅入っていました。しかしいざ自分がやってみると管がグニャグニャになったり、形にならなかったり…ネオン職人の技術の巧妙さに、憧れの目で見ていた事が、思い出されます。
 今と違って、大きなネオン塔からブティックの小さな看板までネオン工事の注文が次々入り、どうやってこなして行こうかと頭を悩ませながら仕事をするという、良い時代もありました。
 ネオン塔は、鉄骨から受注して足場を掛けスパンを張り、チャンネル文字、ネオン配線、一次側、点滅器に送り込みをして、完成となります。点灯式でスイッチを投入した時は、思わずヤッターと拳を握りました。
 先頃閉幕した、ロンドンオリンピックでは、日本は競泳の北島康介、フェンシングの太田雄貴、女子卓球の3選手などおしくも個人ではメダルを逃したものの、団体戦ではチームワークの力によりメダルを獲得することが出来ました。チームワークの勝利です。
 ネオン看板の工事にしても、色々な業種の人達に協力して頂かなければできません。
 人と人との和、信頼関係、まさにチームワークが重要だということを感じます。
 ネオン看板工事では、パチンコ屋さん、ホテル、ステン看板、飲食店、etc.色々思い出もありますが、ブティックなどの片隅にある小さなネオンを、施主さんと、色やデザイン、設置場所等を話し合い、低予算でも思いっきり表現アピール出来る看板が完成し、施主さんに大変喜んで頂き、それが2店舗目へ発展して行くことも大きな励みになります。
 個人的には、今はテニスにハマって、仲間とワイワイプレイし、そのあと飲みにケーションしてストレスを発散し、美味しい食事をとり、楽しく過ごすよう心掛けています。
 時代が、どんどん変化し、LED が社会的に増大傾向になって来ましたが、手作業で形作られる NEON 独特のヒカリには、安心感があり素晴らしいと思っています。
 世の中が、移り変わって行く中に身を投じ変化しながらも、大好きなNEONを絶やさないように。
そして再び、ネオンが夜空いっぱいにヒカル日を夢みつつ……!



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