私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.104
笑顔溢れる環境創りを
     北海道支部 )シモモト工芸社 下元陽司

下元陽司さん  唐突なテーマですが、40歳という年齢になってようやく意識するようになった事が「笑顔」。ネオン屋稼業である者としてこれが欠けているとただの「こなし」ではないか?そう自問自答することが多々あります。 
  ネオンサインというものが、お客様の店舗や商売にとって様々な想いを込め、また効果を求めて、決して安くは無いコストをかけ仕事を依頼される訳ですから、それらの目的を達成するために、色々な提案を繰り広げていくのはプロとして当たり前の事です。
  その過程は相手の立場を意識しつつ、しっかりとお客さんのコストと自社の利益の確保もしながらコミュニケーションを重ねていくものです。お互いの期待感がサインという作品となって、公の場にお披露目された時に、お互いの満足感が「笑顔」で交わされる喜びこそ他に変えがたいものだと思います。
  そして関わったそれぞれの人間関係が、また次の展開に繋がる、その繰り返しがある意味簡単なようで難しい。約束を守りながら信頼という絆を一つひとつ積み上げた土台がないとこれが全く実らない。私自身、良し悪しもとにかく詰め込んで進んできた人生にこれらの事の重要性を今さらながらに意識するものです。
  私は幼年期のころから先代である父の仕事姿を何気に見ておりました。住宅と工場が一緒の建物でしたから、私の遊び場はいつも工場の中でした。
  私が生まれた昭和46年に先代は独立開業し、毎晩遅くまで工場で筆一本で看板を描いていく姿を今でも覚えています。
  当時の先代を知っている方は、赤ん坊だった私を背中におんぶしながら働いていたとよく聞かされたものです。
  父はとても頑固な職人でしたが、看板の引渡しのときはお客さんと笑顔で「いいね!」と喜びながら、納めた看板の前で話に盛り上がっていたことは今でも覚えております。
  後に私が23歳のときに先代は他界しました。これからどうなる?という中でしたが、事業を継続していくことにあたり、本当に多くの方々が私たちを支えてくれたのです。その事には、先代が築きあげた信頼があったからだと当時を知る方によく言われたものです。常に「笑顔」でお客さん想いを具現化すべく、様々な提案をしながら信頼の絆を築いていてくれたからということでしょう。
  私は15歳で地元を離れましたので、本当に稼業に就いた時に初めて知らされた事ばかりでした。それからというもの無我夢中で歩んできましたが、今、改めて仕事の原点という事に先代の血のにじむ努力の道筋を実感するものです。
  よく昔は職人として筆一本で築き上げたといわれますが、それだけではなく、信頼で築き上げる「笑顔」の原理はまさしく現在の社会環境にも未だに大切なことと思います。
  ネオンサイン業界を取り巻く環境は、ここ数年間で大きく様変わりしてきております。様々な機器やアイテムなどが発達し多様化されてきておりますが、やはり夫々の「笑顔」を創り上げる想いの原点は今でも同じだと思います。
  ネオンサインからLEDサインへと移行していくなかでも、多くの人々を魅了する表現力と、それを創りだす情熱は不変であると想いますし、笑顔を絶やすことなく多くの人々を感動させ力強く華やかな地域を創り上げていく事が業界の責務であると思います。
  最後になりますが、協会に入会して1年足らずの若輩者ではありますが、公益社団法人全日本ネオン協会の発展に努めて参りますので、何卒宜しくお願い申し上げます。

 


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