NEONミュージアム

銀座名物だった森永の地球儀ネオン塔
NEOS編集顧問 小野博之

  今年はもう平成25年、昭和天皇のご逝去から四半世紀にもなる。「昭和は遠くなりにけり」を実感しないわけにはいかない。昭和を懐かしむ映画や随筆にたびたびお目にかかるのも当然のことか。
  銀座の夜の風景もあの頃と比べるとガラリと様変わりしてしまった。銀座といえば映画に必ず登場したのが服部時計店の時計塔と森永の地球儀ネオンだった。時計塔はいまだに頑張っているが森永の地球儀ネオンは調べてみると昭和58年に老朽化のため解体され姿を消している。もう30年前のことだから現在30歳以下の人は目にしたこともないだろう。この広告塔の話をしてもピンとこない人が増えてきているわけだ。前々号の提言「ネオン復活のカギはアートにあり」で、このネオン塔をデザインしたのは日本画の巨匠だった横山操と書いたら初耳と驚いた会員がいたので、そのことについて書いてみたい。
 
 戦前から戦後にかけてネオン業界で活躍した会社として根岸の不二ネオンがあった。社長の川瀬伊代次氏が剛毅な人で競馬馬を持ちネオン号と命名していた。根岸神社の総代役をやったりお祭りで根岸の芸者を総揚げして豪遊したり、やることが並ではない。谷中の輪王寺には今でも不二ネオンの名を刻んだ石垣がある。
  日本画で名をなした横山操は、一時この不二ネオンでデザインの仕事をしていたのだ。戦後シベリアで抑留生活を送った彼はまだ芽が出る前、図案を仕事としていた。不二ネオンに身を寄せたのは1950年(昭和25年)からで、日本画を描きながらの生活費稼ぎだったのだろう。森永のネオン塔をデザインしたのは1953年(昭和28年)でその年の広告電通賞をとっている。当時の金で3000万円をかけた大がかりのものだ。今なら1桁は上だろうから3億円というところか。企業もよくこれだけの資金をつぎ込んだものと思うが、ネオン屋さんも儲かったわけだ。横山画伯はその功績によって川瀬社長から鶯谷事務所2階をアトリエに提供されている。川瀬社長は画伯の才能を見込んだ上でそれなりの処遇をしていたようだ。有能なアーチストを支援してネオンの発展に寄与させるとは当時の業界人が持つ度量の大きさに感心せざるを得ない。
  私の父と川瀬社長は親交があり、富山市の商店街、総曲輪のアーチネオンが不二ネオンのデザインで決定したとき工事を譲ってもらいたいと頼みこみ了解を得た。父の会社では富山市に支社を持っていたのだ。その時の条件がデザイナー氏を宇奈月温泉に招待してほしいというものだった。デザイナーとは横山操のことだった。この人は大の酒豪で、行きの車中でサントリーのダルマ1本と清酒1升のほとんど空けてしまったという。旅館に着いてからは景勝地の観光には見向きもせず寝てばかりだったようだ。この酒豪ぶりが災いしたのだろう51歳のとき脳卒中で倒れ、半身不随となり、その後3年にして逝去している。
  総曲輪のアーチネオンはお花ばたけを2輪車が行くメルヘンチックなものだったようだ。森永のネオン塔といい、あの豪快な筆使いの画風と相反する少女趣味的なデザインに微笑ましいものが感じられる。
  以前、関東のネオン組合で日東広告工業という会社が会員だった。この会社の安藤忍社長が広報委員のメンバーだったので昵懇の間柄だった。この会社は森永製菓の傍系会社で広告や看板の製作をやっていた。安藤氏が入社して間のないころ森永ネオンの広告塔を製作したとのことなのでいろいろ経緯を訊いてみた。不二ネオンも横山操も出てこないのでどうも話がおかしいなと思った。デザインは自社でやったという。その話で改修時デザインを変更していることが判明した。写真で見比べてみると当初のデザインでは地球儀の表面に子午線状に縦横のネオン菅が沿わせてあるが(写真1参照)、改修後のものはスイカの縦じま状に山形の凹凸が刻まれ2色に色分けされている。デザインがより洗練され、彫りの深いものになっているように感じられる。こんな違いを念頭におくとネオンの見方も変わるのではなかろうか。
 
  確かTBSではなかったかと思うが、以前テレビの昼の番組でみのもんたが司会をする「おもいッきりテレビ」というのがあり、時々「今日は何の日」という特集をやっていた。もうかなり前になるが平成6年の4月11日に森永のネオン塔が取り上げられた。このネオン塔が竣工したのがちょうど40年前の4月11日だったのだ。(写真2参照)この番組では建設時の現場風景から解体まで時々の日本の歴史を織り込みながら紹介していた(写真3、4参照)。ビデオで録画しておいたので見直してみた。ネオン塔の点滅風景も映っていたが縦横のネオン菅が目まぐるしく点滅して楽しませてくれていた。もちろん白黒映像だが、静止画しか見たことがない私にとって驚きの映像だった。ネオン業界にとっても貴重な記録ではなかろう。


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