サイン屋稼業奮戦記

 Vol.109
凸凹粗面と格闘して
     シーエス・エイ 岩波智代子

岩波智代子さん  西の果ての長崎、酒屋と米屋を営む商店の三女一男の長女として生まれた私が、東京で屋外広告の仕事について、はや30年以上が経った。ネオン協会に所属してはいるものの、ネオン工事をなりわいにはしていない。弊社は俗にいうシート屋である。それも大型のシート貼りを得意としている会社である。
  短大の英文科を卒業後、父の反対を押し切り、ブルートレインに乗り、たった一人で上京した。親戚もいない、友人もいない、頼りになるものといえば、母が父に内緒でくれた5万円と長崎の友人から借りた5万円だけ。スタートは風呂もトイレもない三畳一間5500円のアパートだった。
  デザイン学校を卒業した訳でもなく、どこにでもある地方の短大の英文科をでたものの、地元には思ったような就職先もなく、といって父のいいなりに花嫁修業をして結婚なんていう当時よくあるそんなルートにも乗りたくない。もっと自分らしい仕事がしたいという漠然とした夢をもって無謀にも故郷を飛び出したのである。無鉄砲なことをしたものだと思う。思ったが最後、後先を考えず猪突猛進に突っ走るというこの性格は未だに直らない。
  それでも、東京駅についたときさすがに心細かった。おまけにしとしとと雨も降っていて、前途多難を暗示するような天気だった。でも後悔してもはじまらない、賽は投げられたのだ。その頃はそんなことはちっとも怖くなかった。むしろ楽しかった。
  それから紆余曲折を経ていまのネオン屋ならぬサイン屋稼業である。いま会社は創業39年、私が社長を引き継いで34年。まさに山あり谷ありの毎日であった。右も左もわからない屋外広告業で、ぼこぼこになりながら仕事を続けた。このあたり詳しく書くと紙面が足りないので割愛させていただくが、よくまぁ、つぶれなかったものだと、今振り返るとぞっとすることばかりである。
  見積もりの仕方も、仕事のやり方もわからないままに走り始めたのである。提出した見積もりで足が出ることしばしば、反省して赤字がでないように出した見積もりは高すぎると突き返されるなんていうのは日常のこと。だって私の経験といえば20代の3年ほど某塩ビシートメーカーに勤務していただけで、あとは貿易商社の船積み業務だけ、まともに屋外広告の仕事が出来るわけがない。
  しかしそういう悪戦苦闘のうちにもチャンスが来た。それは凹凸粗面に直貼りできるPシートとの出会いである。これを開発したP社は販売代理店を探していて、無鉄砲な私はまたもやその困難さを顧みず大枚はたいてその販売代理権を買ったのである。しかし当時の私は凹凸粗面に貼るということの難しさをまったく理解していなかった。凹凸粗面と一言でいうが、その被着面は千差万別。もっとも重要なことは施工ノウハウだと悟るにはだいぶ時間がかかった。
  私の販売があまりに遅々としたものだったのでそのうちにP社がシート製造を中止。そればかりか数年後にその社長も亡くなったのである。
  それまで在庫をかかえて施工を続けて来ていたが、いよいよそれも困難になり、やむを得ず自社でP社の特許を侵害しないような製造方法で新製品の開発に成功した。それが「パワータック30」という製品である。初期接着力が高いので凹凸粗面に貼ることが可能であるのは以前と変わらないが、施工ノウハウが重要だということは同じである。今もこのシートを目玉として責任施工の営業を続けている。施工中心なので販売量が飛躍的に伸びるということはないが、弊社を特徴付ける製品になった。
  「パワータック30」を粘り強く営業をしていくうちに良き理解者も現れた。ビルの壁面に直貼りされた広告はインパクトがあるばかりでなく建物の壁面を傷つけることがなく、撤去したあとは何事もなかったかのように元のビルに戻せるのである。もちろん壁面の状態によってはその限りではないが、この一番の成功例が渋谷109の屋外広告である。
  このビルは渋谷のランドマークとして、自他共に認められた存在だったが、現在は毎月二回の100uの広告が掲出される日本一の広告媒体となった。その最初のきっかけは1984年のロスアンゼルスオリンピック。担当者から声がかかり、ビルの壁面にダイビングをしている絵を貼りたいという話がきた。そんな大きな話が来たのは初めてだったので手探りで一所懸命見積もったが、高い!と一言で却下されてしまった。でもその年のクリスマスにちゃんと予算を確保したからと初めてのお仕事を頂戴した。当時の屋外広告物規制はおおらかなものでなんと600uのクリスマスツリーを109のシリンダー部分まるごと貼って、その年のクリスマスを飾った。
  その後も渋谷国際映画祭のチャップリン、マリリン・モンロー、ジェイムス・ディーン、石原裕次郎と、話題性の高いディスプレイをすることができたのはいい思い出である。
  それから30年、渋谷の109は未だに日本一の屋外広告媒体としていつも注目を集めている。そして、そのおかげでなんとかつぶれずにここまでやって来ることができたのである。弊社も来年で創業40周年を迎えるが、初心を大切に業界のお役に立ちながら、いい会社にしていきたいと思っている。



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