NEONミュージアム

創業者魂とサインの極意
大橋武デザイン事務所 代表 大橋 武

松下創業者は広告のプロ
 ものを作り、いかにして売上げを伸ばすか。
 「広告宣伝の価値」を直感的にとらえ、実践してその効用を世に広めた先駆者は、オーナー経営者ではないかと思います。とりわけ、パナソニック(旧松下電器産業)の松下幸之助創業者は代表格といえるでしょう。
 もう遠い昔日のこと、筆者はパナソニックの宣伝部門で長年にわたり、屋外広告業務を担当しました。そして、若い時に決裁報告を通じて直接、創業者から厳しく薫陶を受ける機会に恵まれ、回を重ねるたびにその思いに一層の確信をもつようになりました。
 高度経済成長をとげた1960年代を中心に90年代までの「サインの黄金時代」、数々のネオン広告やサインボードづくりに関わった往時を振り返り、私見を述べたいと思います。
 ご存じのとおり、同社は一代で世界の松下電器を築き上げた不世出のカリスマ的な天才経営者といわれた、松下幸之助創業者が率いた独特の風土がある企業です。家電商戦たけなわの急成長期には、現役社長として陣頭指揮のもと、全社員が一丸となって社業に取り組んでいました。大阪、門真市の本社では、常に「走りながら考える」高い密度の仕事環境の中で、「乾いたタオルをしぼる」ほど、徹底した合理化と着実な成果が求められ、戦場さながらの活気に満ちあふれていました。
サインの師匠は松下創業者
 同社には創業以来、確固たる経営基本方針があり、広告宣伝についても、「良品は自ら声を放たず。製品をより早く社会に知らせ、便益を提供するために広告宣伝が必要」とする伝統的な理念があります。当時、製造や販売業務はもちろん、マスメディアとSP(販促)媒体の主要な広告は、事前に創業者の決裁を受ける習慣がありました。
 前述のように、主なサイン設置のデザイン決裁も上司と受けました。担当者の説明を傾聴のあと、穏やかな口調ながら、質の高いデザインの要求は厳しく、ゴーサインが出るまで何度もやり直し、さらに現場の立地環境から他社動向、サイン素材やコストまで分刻みのなか、核心を突いた専門的な質問を通じて、「人を活かす社員教育」も的確に行なわれていたのです。今までに、これほど薀蓄を傾けた鋭い口頭試問を受けたことはなく、まさに目からウロコの連続でした。
 そのため、デザイン決裁の前日には、上司から創業者の質問事項を予測したQ&Aの模擬テストが行なわれ、即答できるまで時には夜を徹して万全の準備でのぞみました。
 このまれな緊張体験で、サインの奥深い極意ともいうべき本質を学び、その後のビジネスや教育の現場では、クリエイティブワークの基本マニュアルとして実地に活かされたのです。
 このように、創業者が広告やブランドに賭けた深い情熱と高い価値を求めた背景には、終始一貫「お客様大事」という使命感が経営スタンスの根底にありました。
サイン業務の内容
 因みに、当時の主な担当業務は、全国のネオン広告をはじめ、社屋表示、各種ポスターボード、鉄道と空港の交通広告等の企画、制作、運営とメンテナンスです。サインはトップの意向を反映するため代理業を経由せず、ピーク時には、大小約1万件の各媒体の新設、改廃計画から予算管理、賃借契約、交渉までのすべてを自社で取扱いました。  
「ベストのサインづくり」をめざして
 しかし、残念なことに社内では創業家を除いて、製品訴求と直結するマスメディアに比べ、ブランドへの認識は高いとはいえず、折々に啓蒙に腐心しながら、担当部門としては、外部スタッフやサインメーカーの方々のご支援ご協力を頂き、全身全霊で「ベストのサインづくり」に日夜、懸命に努めました。そして、目標は毎年、企業対象に実施される媒体別コンペ「広告電通賞」と社団法人日本サインデザイン協会主催の「SDA賞」を獲得することでした。とりわけ、電通賞はマスメディアとSPの全媒体が対象で、1社で複数の媒体が入賞すると、当該企業に総合広告賞が贈られるため、宣伝部門全員のチャレンジ目標になっていました。
 幸運にも、同社は創業者及び2代目、松下正治社長(後名誉会長)のトップダウンで全部員のチームワークと創意により、総合広告電通賞を多数受賞することができ、広告界で高い評価を頂きました。なお、話題になった作品の一部を2回に分けてご紹介します。

1.JR大阪駅東口前 松下電器「東京オリンピック協賛」サインボード

2.大阪・中之島 National/Panasonicネオン (SDA大賞/'80・大阪市みおつくし優秀賞受賞)

3.東京・JR渋谷駅北口前 Panasonic立体サイン (屋外広告電通賞・SDA賞受賞)

 



Back

トップページへ



2014 Copyright (c) All Japan Neon-Sign Association