サイン屋稼業奮戦記

 Vol.113
ネオン絶やさぬ街づくりへ邁進
     北海道支部 ワールドプランニング( 百日正勝

百日正勝さん   私が看板屋さんに就職したのは16歳、中学を卒業して直ぐの時でした。
  中学校では就職をお世話してくれる先生がおり、お前は工作と絵が好きだから看板屋さんが一番と、勧められるままに入社。こうして昼は看板屋さん、夜は定時制高校へと通う毎日が始まりました。
  入社してから3年間は、掃除・顔料作り・看板取付等々…。いわゆる下積みなのですが、私は勘違いしていました。入社したら絵や文字の描き方、看板枠の製作などを直ぐに教えてもらえると思い込んでいたのです。
  ある日、先輩から、ネオンの取付現場に助手として付いてこいと初めて言われ、ネオン管の取付や配線方法を教えていただきながら、先輩と一緒に工事を無事完了させました。点灯したときは大変に感動しました。
  それからは、いつも先輩に同行。ネオン管の製作工程では、大変高い技術と忍耐力が必要なんだと実感したことが、今でも心の中に残っています。
  ネオンには、何か人々に温かさを感じさせるものがあり、私もいつか大型ネオン看板を製作したいという思いを忘れずにいました。
  そして、それから数十年後、私は独立し看板屋を開業。様々なクライアント様より仕事をいただくようになり、大型看板の発注も増え始めていました。
  願い続けていたネオンの大型壁面看板(約300u 写真右)のお話が舞い込んできたのは、そんなある日のことです。 
  しかし、嬉しさの後に一瞬で身が引き締まるような感覚に陥りました。何せ、工程表には発注から60日以内に完了・点灯日は12月24日のクリスマスイブと明記。猶予がなかったからです。
  『どんなことがあっても完成させる一世一代の大仕事』。こんな決意のもとスタートさせた看板工事でしたが、それからは協力会社の面々と私共の総勢20名、朝8時から夜7時まで寒さも忘れ工事に没頭。私自身は、今まで経験したことのないような緊張感に包まれながらの毎日で、少し目処がつきホッとした時の安堵感は忘れられません。
  完成日は12月22日。さっそく試験点灯が開始され、24時間後も不良なし。
  そして迎えた24日。会場のスイッチ前には関係者の皆様が集合。
  午後5時、スイッチONの合図と共に全点灯。
この瞬間、気が抜けたのでしょうか。私は地べたに座り込んでいました。
  そんな私も今年で74歳。看板一筋60年。これもクライアントの皆様、協力会社の皆々様のお力添えがあったからこそと、心から感謝しつつ、あと3、4年は楽しみながらネオンを絶やすことのない街づくりに邁進したいと思っています。



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