点滅希

 
 「忘却」  
    

 現在、朝日新聞で夏目漱石の「三四郎」をリバイバルで連載している。その前は「心」だった。私は両方とも学生時代に読んでいる。しかし、読みなおしてみると内容は完全に忘れている。残っているのは読んだという記憶だけなのだ。
 でも、これは50年ほども前のことだから仕方がないとしよう。つい最近の本で2度読んだことがある。おしまいまで来て、すでに読んでいることに気が付き唖然とした。映画でもよくある。すでに観ている映画なのに次の展開がどうなるのか、まったく記憶がない。
 2度読んだり、2度観たりすることは1度目が無駄だったということなのか、それとも、2度楽しんだのだから良しとすべきなのか、複雑な気持ちだ。
 よく、この本は3度読みましたとか、あの映画は5度観ましたということを聞く。その場合は1度目はよく理解できなかったからとか、何度観ても面白いからという理由が付く。だが、そんな気持ちが一切なくて読まされたり、観せられたりと言うのは割に合わない気もする。
 でも、いやな体験をウジウジといつまでも忘れられないというのは悲しい。忘却あってこそ人生は楽しくやっていける面もある。

(愚庵)

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