ネオン屋稼業奮戦記

 Vol.118
ネオン屋のネオン離れをくい止めよう
    関東甲信越北陸支部 東京ネオン 藤田 進

藤田  進さん   私は学生時代、苦戦の就職活動の末、昭和63年(1988年)に何とか新卒で前職の某電子部品メーカーへ就職することが出来ました。
  新入社員研修を終え、営業部門に配属が決まり「販売について学んで行こう!」と意気込みを新たにして、大阪支店に着任。ところが支店の内部を見渡すと、納期問題で工場の生産管理と電話でやりあう姿ばかりが目立っていました。セールス(顧客対応)一人に、アスシタント(受注処理、出荷指示等)一人がペアとなって業務する体制なのですが、中には工場から「できねーものは、できねー!」と開き直られて泣き出すアシスタントの姿も!
  そうなんです。時はバブルの最盛期で各セットメーカーさんも生産に追われ、部品の確保に躍起となっていて、納期調整が主たる営業の仕事のような状況だったのです。なので、売れば売るほど、社内に敵を増やすような風潮となっており、「営業って何なんだろう?」と戸惑うばかりでした。
  そんな混沌とした毎日で、大した成長も出来ないまま、平成3年(1991年)バブル崩壊が訪れました。受注は激減、強気だった工場からは「来月の受注見通しはどう?」と、内線がかかって来るような状態になってしまいました。
  「共に会社を支えてきた社員のみんなに手は出さない」と宣言していたカリスマ会長も、とうとう希望退職募集の道に進まざるを得なくなりました。私も応募したい気持ちになりましたが、兄の助言もあり「石の上にも3年」を文字通り受け止め、後3年は続ける覚悟を決めました。
  するとだんだんと社内の動かし方(工場にどう説明するか、この問題はどこの部門の誰に相談すべきかなど)が見えてきて、社内支援を受けられるようになり、営業先でもお客様のご要望に対してどこまで対応できるか、いつまでに対応できそうかなどが即答出来るようになってきて、少しは営業として立ち回れるようになってきました。
  前職の話が長くなりましたが、これらの経験から「営業をやるならば、扱うものが違ってもやるべき基本は同じ」という感覚を得た為、ためらう事なく、平成8年(1996年)、結婚を機にネオン業界へ転職して参りました。
  入社当時は、銀座に製作・管理物件が何塔もあり、ちょうど前年にタバコボードの全国一括買収を果たした所で、社内は活気に満ちており、「平成不況と言われている中、こういう業界・企業もあるんだなぁ」と驚きました。
  最初の仕事は小型サインの改修工事でしたが、もともと機械いじりや電子工作などが好きなので、工場や現場に行けるのが楽しく毎日わくわくしていたものです。
  そして担当責任者として任命されたのが「大型ビジョン:銀座シティギャラリー」です。
  前社長は、ネオン工事の下降傾向に先立ち、メディア事業へのシフトを進めており、タバコボード事業に続く新事業として進出したものです。
  私も設備設置・管理、運営、営業に全力で取り組み、全国から出稿の依頼を頂ける所までは進展させた自負はありますが、設定されたハードルを越えるまでには至らず、平成16年(2004年)に残念ながら撤退となりました。
  またタバコボードも、WHOの勧告を受け、タバコ業界の自主規制が始まり平成14年(2002年)に完全終了となりました。
  当然受注金額は激減、業績は悪化し、各種リストラを進める事となり、整理が一定のレベルまで達した所で、平成17年(2005年)社長に就任しました。
  限られた経営資源による経営となる為、原点回帰を基本に、サイン事業とポスターボード事業に特化した運営に取り組んでいますが、平成20年(2008年)のリーマンショック、平成23年(2011年)の東日本大震災と、大きな逆風にさらされて苦戦の日々を送っております。
  しかし、「アベノミクス効果」「2020年東京オリンピック」等々による景気の回復感から、引き合い件数が徐々にではありますが増加して参りました。
  少々ぼやき事が多くなってしまいましたが、これからが正念場!!
  気を引きしめてがんばって参ります。
  最後に、ネオン存続問題について少し触れさせて頂きます。
  ネオン管技工士については、横山会長の従前からのご尽力により、マイスター制度を確立されて大きく進展頂きましたが、私はネオン資材についての早急な対策が必要と考えております。
  ネオン管・ネオントランス・サポートやガイシ類・点滅器等々、納品後のメンテナンス対応を含めて供給見込みが明確でないと、お客様への保証の面から「ネオン屋のネオン離れ」が進んでしまうと危惧しております。
  技術委員会はじめ、協会の皆様と共に私もこの問題に取り組んで参りたいと考えておりますので、何卒よろしくお願いいたします。



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