点滅希

 
 首都の位置  
    

 日本の首都が東京(江戸)になったのは家康が天下人となってからのことであるが、そこにはいくつかの偶然と英断も作用する。秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、一番の功勲があった家康に褒章として関東を与えた。それまでの三河の本拠地に替えてということでは、ライバルを出来るだけ遠くに退ける意味があったことだろう。そのとき、小田原、鎌倉、東京のどこにするかは家康に判断をゆだねられた。家康が大部分湿地帯と浅海の東京を選んだのは賢明だった。背後に広大な関東平野を要し、良港を控える。しかも日本列島のほぼ中央にあり、冬の寒さも夏の暑さもほどほどである。冬の降雪はたいしたことはなく、晴天が続く。現代人の目から見てもここより首都としてふさわしい土地は他にないだろう。
 昭和になって遷都や第二首都構想も話題にはなったが立ち消えとなったのは当然のことだろう。私は、東京が首都としてふさわしい理由として富士山との位置関係をあげないわけにはいかない。高層ビルが立ち並ぶ以前の東京からの眺めに富士山は絶好のポジションを占めていた。今でも晴れた日に電車の窓からの富士山の遠望には心が慰められる。

(愚庵)

Back

トップページへ戻る



2016 Copyright (c) All Japan Neon-Sign Association