ネオン前線北上中

 
 うちのカンバン娘 30 
中国支部 
(有)共同ネオン電機
川上亜紀子さん
川上亜紀子さん  看板娘でもあり、専務就任5年目という川上亜紀子さんにお聞きしました。
――専務さんのお仕事を教えてください。
 朝は8時15分から全員ミーティングをします。人手が足りない時は、その時々でフォローに回ります。製作は元々やっていたので楽しいですね。大きな現場は慣れないのでまだまだ足手まといだと感じますが、曲面にシートを上手く貼れた時などは達成感がありますね。他には経理を社員に教えてもらいながら勉強中です。
 父が社長を退いて会長になり、夫が社長に就任。私が専務になりました。父は会長職もこのたび退きましたが、幸いに毎日元気に出社してくれています。
――それは心強いですね。
 はい。でも父が元気なうちに会社の業態をうまく繋げていけるようにと、考えることがとても多くなりました。神経を張り巡らせるというか自分でもピリピリしていると思います。子どもに「怒っているの?」なんて言われてしまいます。
――子育てと両立は大変ですね。
 子どもは小中高と3人。子どもが小さい頃は定時に帰してもらっていましたが、今は残業になっても、ご飯さえ準備しておけば留守番をしてくれます。社長は夜遅くまで休日も出社することが増え、家には寝に帰るだけですが、会社の安定持続を常に考えていると思います。
――ご趣味の時間などありますか?
 3年前からフラダンスを習っています。13歳と11歳の親子3人で。特に13歳は男の子なので、一緒に何かやるのはきっと今だけだろうなと思いつつ、楽しんでいます。ストレス解消にもなっています。
 
 う・ち・の・会・杜 147 
関東甲信越北陸支部 鳴和プラスチック
(株)
岡谷勝史さん
岡谷勝史さん 鳴和プラスチック(株)は、昭和36年、現社長の祖父岡谷久さんが創業。昭和36年以前はブリキのバケツを作っていました。北陸での製造はハシリだったとのこと。「最盛期には月に3千本生産していたと聞いています」と勝史さん。
 ブリキに変わってプラスチックが出始めたのを機に、屋外広告業にいち早くシフトチェンジ。「厳格な祖父でした。戦前の人ですからね、整理整頓を心がけ、ムダを嫌いました。ブリキからプラスチックへと原材料を変えるだけではなく、業種も変えていく英断は、今に繋がっているので、先見の明があったんでしょう」
 勝史さんは平成19年三代目社長に就任。まもなく10年になります。現在社員は9名。今年6月に創業の地から、2キロくらい離れた所に移転新築。生産効率が格段にアップ、その前後に3D大型ルーター、レーザー加工機導入と設備強化を図りました。様々な分野に対応できるよう企画・設計、施工、取り付けからメンテナンスまで、自社で全てまかない納期・価格をコントロール。「それが自社の強みです」
 社員には「迷ったらどちらがお客様にとってより良いか、喜んでもらえるかを考えろと言っています」
 「青年部が少ないのはどの業界も同じですが、もっと増えて欲しいですね。そして次代に繋がる活動を続けて行く。それが街の活性化につながっていく。今の世の中、安全面重視は勿論の事、使命を持って仕事に取り組んでいく、その姿勢が自社だけでなく業界を、そして街を変えていくと思います」
 北陸からの久々の新入会員でもある岡谷さん。攻めの姿勢とお客様ファーストが強みです。


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