ネオン屋稼業奮戦記

 Vol.133
私のネオンサイン クロニクル
    中部支部 (株)アイセイ社 梶野保美

梶野保美さん  昭和47年3月21日、アイセイ社に入社し、私のネオンサイン屋としての半世紀がスタートしました。
 入社後の半年間は同僚7人と入寮し、看板工事に関する仕事の基礎を学ぶ研修の期間でした。研修先の小牧工場の敷地は広く全体で1060坪あり、工場内が330坪、寮が151坪で、外部には塗料庫と資材倉庫が3棟もありました。工場内は2階に事務所と版下を書くために広い原寸場があり、1階では板金加工、鉄骨溶接、吹き付け塗装室、ネオン管曲げ加工の作業場があり、工場内でほとんどの製品が完成しました。また、毎日外注の作業員の方も出入りしており大変活気がありました。
 研修内容は、板金文字の下地処理を洗車ブラシと金属用強力洗浄剤(スケルトン)で洗い流す作業や、看板の鉄骨の組立・溶接後に残った粕取り、サビ止め、上塗り塗装など地味なものも多く、同僚と励ましあいながら少しずつ仕事を覚えていきました。また、刷毛でペンキを塗るときにペンキが垂れない様、下げ缶の中でハケを淵で叩く技(自称缶タタキ)など、このとき職人さんから学んだ技能は、今でも日曜大工など生活の中でも役立っています。
 研修後は、本社に戻り電気の専門家として活躍すべく、ベテランの上司から指導を受け、電気工事士免許を取得しました。デスクワークでは、ネオン図面から管の長さをキルビメーターで計測して数量の報告業務や、ネオン管の原寸原稿の作図を行っていました。現場では、ネオンの不点修理や広告塔ネオン工事の手伝いをしました。ネオン管の取り扱いで割れない様、神経を使い作業は大変でしたが、工事が完成すると実施する点灯試験で初めて光った所を見たときの感動は今でも覚えています。
 第一次オイルショック(昭和48年秋)後の昭和50年9月、現場代理人として初めて本格的な電気工事を担当しました。
 オイルショックの影響で、世間は節約ブーム(省エネ)となり、ネオン広告塔は瞬く間に各地で消灯されました。これまでの高度経済成長期での忙しい毎日が嘘のように、極端に仕事が減り社内の空気も重苦しい雰囲気でした。他の事業を模索する中、愛知県営繕の入札物件の愛知県立春日井西高校の一般電気工事を請け負うことになりました。この工事は7カ月間の工期で現場事務所を設置する規模のもので、初めて現場代理人を任される大きな仕事でした。
 これまでと違う未知の仕事で、建築現場の監督には随分叩かれ苦労しましたが、この仕事を成功させて社内の空気を明るくしたいとの思いで必死に取り組み、何とか成功させることが出来ました。この成功体験が今後の自分の成長を支えたと感じています。

 昭和55年頃からは、名鉄、近鉄、コカコーラ、三菱電機など大型広告塔などの工事を受注でき会社生活で一番活気がある時期でした。工事の完成後に行われる点灯式の準備の担当をしていました。手順は、広告塔の近くに紅白の幕が張られた中に祭壇を組立て、お供の鯛、するめ、昆布、大根、人参、椎茸、果物とお神酒と洗米をお供え、紅白リボン付ナイフスイッチとハサミを置き椅子を並べて完成です。
 その後は点灯確認のため何度も試験をして本番を待ちますが、お客様がスイッチを入れる瞬間はいつも緊張しました。
 昭和61年頃からは、パチンコブームの影響でネオンの需要が大幅に増えてネオン管やトランスの生産が追いつかなくなり工事を受注しても納めることに大変苦労しました。
 当時パチンコ店のネオンは配列や点滅が複雑になり、過去のドラム式点滅器では対応が困難で、このころから電子点滅器を使うことが多くなりました。複雑な配線も小型・簡易で実現することができ、ネオンサインとしても見応えのあるものができるようになりました。
 更に、平成元年には世界デザイン博覧会の影響で、新しいデザインの看板や交差点のモニュメントなどが多数設置され、街の雰囲気が大きく変わり、それに伴いネオン塔の工事も沢山受注できました。
 現在ではLED照明が大半を占めており、当社も平成13年6月に店舗のサインで施工したのをきっかけに、現在までの物件数は450件を超え、年々増加しています。それに伴いネオン看板は減少の一途で、仕事内容もメンテナンスの仕事が大半になっています。
 最近担当した案件で、印象に残ったものがあるので2件紹介します。1件目は豊田市駅前にある名鉄トヨタホテル(12階屋上西面)のネオン不点の調査についてです。現地調査の結果高圧配線の断線でネオン管には問題ありませんでしたが、驚いたのは設置時期でした。施工記録を調べたところ平成7年(23年前)に設置されており、その後ネオン管の交換はされていませんでした。2件目は栄の繁華街のインペリアルプラザ壁面ネオンで昭和56年(37年前)に設置されています。こちらもメンテナンスしておりますが、今も点灯しています。外部での厳しい条件の中で照明としてこれほどの長寿命は計り知れません。

 

 興味本位で他のネオンを物件も調べたところ、昭和の物件が12件、平成10年までの物件が20件、全体では80件以上がいまだに活躍中です。行灯照明や内照文字など光の均一化が必要な場面ではLEDに劣りますが、光源を直視しても目に優しいことや、歴史を感じる暖かい色彩では負けないと思います。
 私は入社以来この道一筋で46年目(約半世紀)を迎えようとしており、現在は後進育成に注力しています。様々な仕事にチャレンジでき、その都度多くの方々にお世話になり、感謝の多い仕事人生でした。
 また、ネオン組合の仲間の皆様との日頃の情報交換や懇親会などの交流は、有意義で楽しくかけがえのない時間でした。この場を借りて感謝申し上げます。



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