サインとデザインのムダ話

 
夢物語だったオリンピックメダルができるまで
川西純市さん川西純市
SIGNSPLAN 代表/SDA 公益社団法人日本サインデザイン協会常任理事/USD-O大阪デザイン団体連理事。
1967年大阪生まれ。1990年大阪芸術大学美術学科卒業、92年美術専攻科修了。
大阪芸術大学デザイン学科研究室副手勤務、サインメーカー等を経て、2006年にSIGNSPLAN設立。
以後、関西を中心に役所や学校、病院などの公共施設、オフィス、ホテル、商業空間のサイン計画、空間グラフィックを手掛けている。
日本サインデザイン賞 奨励賞、地区デザイン賞入選他。2019年 東京2020オリンピックメダルデザインに選ばれる

 オリンピックを東京に招致することは2013年頃にニュースでなんとなく見ていたが、2001年の大阪での招致が失敗して、開発予定地だったベイエリアの広大な土地活用が宙に浮いて意気消沈し、経済的にも厳しい時期が訪れていた暗黒時代を経験した市民の私からすれば、2回目の自国開催のオリンピックはそうそう越えることができないハードルの高いものであるなと痛感していた。
 その時は2008年中国の北京に決定。経済新興国で勢いのある国がどんどん出てきて、今後もアジアの国々はもちろん、世界中でオリンピックが開催できる国はいくらでもありそうで、まあ自分が生きている間は無理だなとしみじみ感じていた。それがどうだろう、当初6カ国が手を挙げていたのにも関わらず、最終的にイスタンブールとの決戦投票で、見事東京開催が決まった。様々なお国事情がある中で、日本に転がり込んだこの朗報は嬉しさを通り越して、運命のいたずら的な不思議感すら覚えた。いやもう自国開催のオリンピックなんて生きているうちに絶対ないぞと思い込んでいたので、本当に驚いた記憶がある。
 その上オリンピックメダルデザインコンペに参加できること自体、私達デザイナーにとって夢のような舞台だったが、メダルってどうやって製作しているんだろう?と、ずっと考えていた。普段仕事にしているサインだったら鋳物とか、レーザーカットとか、削り出しでできないこともないが、五輪メダルは大量生産しなきゃいけない。しかも自分の考えるデザインは金属を有機的な曲面にすることだった。気の遠くなるような手作業でしか無理そうで有り得ないな、と思った途端、手が止まった。しばらく途方に暮れていた時に、ふとある思いが溢れた。このメダルデザインは普段の仕事じゃ無くて、夢を創るんだから、技術的に無理とか、できないとか自分でブレーキをかけるべきではない、と。できないと思った途端、できなくなる。それはアスリートも同じ。どうせ人生一回きりなんだから、死ぬ前に後悔しないものを出し切りたい。誰にも気を使わず、自分が納得したらそれでいいと、なんとなくスッキリした気分になってパソコンで一気に描き上げた。考えは1週間ぐらいフラフラしていたが、ラフスケッチとフィニッシュまで実働は概ね1日。この爽快感はなんだかわからないが、提出した後はやりきった感が溢れる気分だった。
 ところが全く忘れていた頃に最終の3作品に選ばれた。次の2次立体審査に進めるわけだが、レプリカを製作する段階で、打ち合わせするうちにこれが実現するのは技術的に難しいと思い知った。それとなく半分諦めも出て、まあ最後には残らないだろうなあ…と腹を括っていた。それから3カ月ほど経って、日々の仕事に追われていた頃に電話があり、「内定されました…」と言われた時は状況が掴めず、さすがに頭が真っ白になり、電話を切った後も果たしてあのデザインがオリンピックメダルの造形物として成立しているのかと、不思議な気持ちで一杯になったのを覚えている。ただし、喜ぶのはまだ早い。その後はモデルではなく金銀銅の本物メダルを製作してIOCに承認を得るまで本採用ではないという事。そして正式発表があるまでは、一切デザインの情報を漏らしてはいけないという約束を守る義務もあった。同時に56年ぶりの自国開催である五輪メダルのデザインが、発表後に果たして国民の皆さんや世界の人々に受け入れてもらえるだろうか?と、様々な妄想が頭をよぎる。改めて事の大きさを思い知り、眠れない日もあった。


 それから造幣局での製作打合わせや仕上げ調整などを経て、IOCの承認も無事にいただいた後、晴れて2019年7月24日に五輪のメダルデザインが東京国際フォーラムでお披露目となった。翌日も記者会見、取材の対応など、今まで経験したことがない事柄にも右往左往していたが、それまでの抑圧された状況から、なんだか心が解放されたような充実感があった。そして審査会座長、文化庁宮田長官の金工芸術家としての視点から、技術に関して多くのアドバイスをいただいたこと、審査員に著名なデザイナーを始め、日本を代表するオリンピアンの温かいご感想も心の支えになり、本当に嬉しかった。また、組織委員会始め製作を担当された造幣局の方々、全国からリサイクル金属を送ってくださった国民皆さんの思いが、このメダルに込められていることに感謝しつつ、「多様性と調和」を込めたコンセプトと、グローバルに広がる世界のつながりがオリンピックによってさらに強いものになる予感を感じている。きっと世界は一つになれるという確信をこのメダルに託し、来年のTOKYO2020の舞台で、メダルを手にするアスリートの笑顔、栄光と感謝の光を世界中の人々に届ける姿が、今からとても楽しみで仕方がない。唯一の悩ましい問題は、メダルを手にしたアスリートを実際にこの目で見てみたいが、チケット抽選は今の所全滅なのである。それでもチャンスがある限り、アスリートと同様、決して諦めない。


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