サイン屋稼業奮戦記

 Vol.143
モットーは『成長と満足』
    関東甲信越北陸支部 (株)日高ネオン 梅根拓也

梅根拓也さん 伯父と父が、私が生まれる5年前に日高ネオンを設立いたしました。幼少期には自宅近くの社屋によく遊びに行ったものです。幼稚園の卒業記念テープには「将来、日高ネオンの社長になる」と吹き込んでいました。
 ですが、大学を卒業して就職したのは、自動車のランプと電子部品のメーカーの人事部。まったく家業を継ぐ意識はありませんでした。人事部では、労務対策や、海外子会社の外国人社員を日本に受け入れたり、日本人社員を海外子会社に送ったりなど様々な業務を、お客様となる社員さんに対して公平に行うことが良いとされました。
 一見平穏な職場にみえますが、自動車関連メーカーという業種柄、【カイゼン】活動が活発で、毎朝、チーム対抗で、「今日こそ俺はやるぞーーー!!」と喉がかれるまで絶叫しあう「やるぞコール」をやったり、翌日の業務を15分単位で計画して上司が承認し、ずれが生じればそれを訂正して再度承認をもらう、なんていう、なかなかめんどくさい職場でした。やり手の部長が来てからは、その厳しさについていけずに退職する同僚が続出し、ついにはその部長自身もパワハラや横領などで告発されてクビになってしまいました(人事部なのに…)。どういうわけか私はそのやり手の部長に大変かわいがられ、ロジカルシンキングなどのフレームワーク思考や、得意先志向といったビジネスマンとしての基礎を教えていただく貴重な体験をいたしました。
 大手メーカーは長期休暇が長いです。それを利用して海外バックパッキング旅行にもよく行きました。平和ボケの日本を脱し、タイで洪水に巻き込まれ電車中3泊をしたり、メキシコでは警察の強盗?強盗の警察?に逮捕されて12万円もまきあげられたり、いろいろな経験をしました。生きた心地がしなかったですが、今後何があってもサバイバルできる、と変な自信がつきました。
 サラリーマン生活も10年近くが過ぎ、優秀な上司が多いこの会社で、自分はこのまま下働きでいいのであろうかと悩み始めました。そこで、心機一転、鶏口牛後、これまでの経験を別分野で生かそうと日高ネオンへ転職しました。そんな転機の真っただ中に出会ったのが妻でした。先行きのわからない状態でお付き合い、結婚できたことには感謝しています。
 日高ネオンに入社してからは、カルチャーショックしかありませんでした。
 1つ目のカルチャーショックは、事務職から現場系営業職への転換です。明文化されたルール、マニュアルもほとんどないなか、先輩社員に聞きながらやるしかないのですが、私は何をすべきか分からない、先輩は私に何を教えたらよいかわからない。サインは広く浅くの知識が求められます。基礎、鉄、ステンレス、アルミ、シート、樹脂、塗装、デザイン、構造計算、役所申請、重機、足場、電気、それぞれの専門業者さんに聞きながら、ノウハウを明文化する作業はいまも続けていますが、当時、何回も何回も苦い思いをしました。トビさん、レッカー車、ガードマン、作業員を集めた深夜、ビルの鍵が開かなかったときの絶望感はいまでも忘れられません。
 転機となったのは、入社2年目にお請けした大手お弁当工場のCI物件でした。北海道(ジンギスカン)から香川(うどん)まで、全国の現場で、現調、意匠図作成、見積もり、お客様との折衝、手配、現場立ち合い、アフターフォローと、先輩社員と一緒に、一通りの流れを全国規模で経験でき、大きな自信となりました。
 2つ目のカルチャーショックは、メーカーから建設業への転換です。まず、現場ありき。天気や他の工程次第でコロコロ予定が変わります。早朝や深夜作業もあります。年度末の繁忙期には参りました。前職の人事部でも2月の人事異動や春闘のシーズンには徹夜で働くこともありましたが、サイン業の3月の忙しさは桁違いでした。2週間連勤のさなかに昼夜昼連勤が何回か続くとさすがにこたえました。それでも、4月1日の朝に仕事が納まった時の解放感は何物にも代えがたいものです。
 3つ目のカルチャーショックは、勤め人から商売人への転換です。かつては、公平に、マニュアルに従って仕事をし、それに当てはまらない事が発生したらパワーポイントにまとめて上司と相談して決めるというやり方でした。いまは商売人として、どのようにしたら、win-winのかたちで関係者の皆が稼げるか、という発想の転換をせまられました。商売人としての判断は、常に根拠はもっていますが、マニュアルはありません。相談する上司もいません。最初はやはり戸惑いました。とはいえ、前職でも前例主義や硬直した公平性には違和感がありましたので、育った環境からして商売人としての発想は多かれ少なかれ昔から持っていたのだと、あとで気づきました。
 日高ネオン入社後7年経った40歳の時、社長に就任いたしました。サイン業のテクニックは習得しておりましたが、経営者としては初心者でした。経営の芯となる、また従業員の行動指針となるものが必要だと思い【成長と満足】という経営理念を打ち立てました。
 まずは自分の成長がスタートで、その成果をお客様に提供することで、お客様に満足いただき、それをお客様から還元いただいた結果として自分が満足できるようになり、その満足を元にさらなる成長をみずから求める。そんな好循環を回していきたいと、いまも社内で浸透中です。
 まずは自分の成長がスタートという考えは、前職にて【カイゼン】やビジネス思考、勉強方法を叩き込んでいただいたおかげだと、今も部長に感謝しています。
 地元に戻ってきて、JCや商工会などで地元の若手経営者と深い交流をもつことができるようになりました。普通は経験できないオリンピック選手を講師としたイベントを主催したり、地元の歴史や政治家の見方がよくわかるようになりました。なにより、ずっと年下の意欲とアイディアあふれる起業家たちとの交流が、ものすごい刺激となり、経営と遊び方の手本となっています。
 関東ネ協の青年部にも加入し、ここ3年、日本サイン協会の青年部の代表もやらせていただいております。私のような経験未熟な者がこの大役をお引き受けできるのか大変心配でした。というか今もできているか心配です。が、お引き受けしてよかったと心から思っています。全国の同志との交流、情報交換、仕事の融通が活発にできるようになりました。ここで得られたつながりは私の血となり肉となっています。さらには業界の方向性について、この立場に立たなければ見えないものがたくさん見えてきました。同業他団体との交流も盛んになり、本気で業界の将来を考える仲間と連携が取れていくことにワクワクしています。特に安全。安全が担保されなければ、サイン業界の地位は向上しない!と仲間とともに奮戦しております。
 最後に、弊社は東京都の多摩地区に拠点を置き、全国でサインの製作施工を行っています。自社で工場を持ち、職人を抱えていることは大きな強みですが、それらを維持するのは大きな苦労も伴います。私の持つリソース、つまり前職での経験、日高ネオンでの経験、諸団体での経験を総動員して、従業員ともどもみずから成長し、お客様にどう満足していただけるか日々考え、日々【カイゼン】して参りたいと思います。
 これからもよろしくお願いいたします。



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