サイン屋稼業奮戦記

 Vol.145
会社を背負う覚悟
    関東甲信越北陸支部 株式会社 オートレント 上野翔太

上野翔太さん 2015年10月1日、私が株式会社 オートレントに入社した日です。
 その日から数えあっという間に4年が経過し現在5年目を迎えています。当時の私は23歳、それまではサッカーに明け暮れ、入社直前までタイで選手としてプレーしていました。社会人経験がほとんどない私が、右も左も分からない中、社会人としての第一歩を踏み出す事となったあの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

 株式会社オートレントの現代表取締役は私の父(以下社長)で、平成8年6月に設立した日から、そのカリスマ性と強烈なリーダーシップで、優秀な社員さん方を引っ張りながら急速に売上を伸ばしていきました。そして現在は川口市里 国道122号線沿いに本社ビルを構える企業にまで成長しています。そこに至るまでの苦労と努力は相当なものがあったのではないかと思います。一代でここまでの企業に成長させた社長の話を私は幼少時から常に聞かされていましたが、その言葉の意味も、重さもよく分からないまま聞いていました。入社を決めたのも社長を助ける為という気持ちが第一にありましたが、この仕事が好きかという問いに関しては、正直当時はあまり好きではなかったと思います。
 オートレントは、建設機械・機器のレンタル&リース業を営む会社で特に高所作業車に特化した会社です。話ではよく聞いていましたが、実際に入社してからは分からない事だらけで、非常に困惑しました。初めての電話対応、接客、ましてや看板商品である作業車の知識もほとんどない状態で入社した為、とても苦労しました。
また、当時は遅刻の常習犯、上司から指導される事もしばしばあり、簡単なミスも多く、度々迷惑をかける存在でした。私が息子だったという事もあり、周りの社員さんには非常に気を遣わせた事と思います。当時は自覚がゼロだったわけでは決してないのですが、今考えるとその自覚もまだ足りてなかったように思います。
 入社してすぐ、私は営業1課に配属され3年間営業活動をさせていただきました。
 目標とするノルマは年々高くなっていきましたが、社長が現役バリバリの営業マンとして活躍していた時代、1人で1カ月3千万をあげていたと聞き驚きました。その話が出るたびに、時代が違うと社長は言っていましたが、日々模索しながらその数字を越えるべく行動したものの、3年間の結果はそれを乗り越えるには到底及ばない数字となり、力不足と自分の努力が足りない事を痛感しました。

 そして昨年、24期を迎えた年にそれまで現場を引っ張ってきた社長が突然現場から離れることを発表しました。それまで絶対的な存在として引っ張ってきた社長が現場から離れる決断をすることに私は勿論、社員さんも含め驚きと同時に不安を隠せなかったのではないかと、当時を振り返ると思います。最終決定は勿論社長の判断になりますが、日々現場にいた社長が常に居ないということは、サッカーで例えるなら、クリスティアーノ・ロナウドの居ないレアル・マドリード、メッシが抜けたバルセロナといったところです。中心選手を失えばチームは脆くなる可能性が高いですが、そのことが逆に好転しそれまで1人の選手に依存してきたチームがより団結力を生み抜けた穴を感じさせないチームになる事もあります。いつかは、こういった時期がくると分かってはいましたが、それはあまりにも早く私自身にも新たな役職が与えられました。
 4年目を迎えていた自分にとってそれは相当なプレッシャーとなりました。現場の指揮は私や兄(義兄弟)に任される事となり、それまでとは役割も大きく変わっていき、営業マンとしての活動はわずか3年で終了する事となりました。
 ずば抜けて営業成績が良かったわけでもない、社長のようなカリスマ性も持ち合わせていない私が社員さんからの信頼を得ることができるのか、いつか社長が引退された時に会社を引っ張っていくことができるのか、自分に務まるのかと考えない日はありませんでした。
 社長は役職が人を育てることもあると私に声をかけてくれましたが、それでも不安は拭いきれず、もやもやした日々が続きました。七光りと思われたくないと強く感じ、兄の方が建設的に物事を考え的確な話をする事ができることに劣等感さえ覚えました。それでも前向きに、自分がやらないといけないと思えたのは、周りの方の支えや社員の方から協力を惜しまない、ついていきますと声をかけていただいたことが大きいと感じています。
 管理職へと役割が変わったことにより、それまでは漠然としていた社長の言葉や行動一つ一つが会社を背負っている者としてどれも必要なことで、昨年の体制変更が自分の感じていた思いを変えるきっかけとなりました。元々社員として入社してきた私は、社員さん側の意見に耳を傾けがちで、会社の方針や指針にも疑問を感じていた部分はあったかもしれません。ですが、経営者の目線というのはまた違ったもので一つの発言、一つの決定が会社を大きく左右します。
 まだまだ学ぶべきこと、吸収すべきことは沢山ありますが、会社を背負う者の覚悟とその思いを理解するには昨年の経験は非常に大きなものになったと思います。

 今期からはまた役職が変わり、取締役に就任することになりました。しかし、就任矢先の3月半ばに社長が病に倒れるという事態に陥り一時ピンチを迎えました。現在は回復し復帰されておりますので一安心していますが、また一つ私の覚悟を更に強める出来事となりました。現在は社長の下につき、様々な事に携わらせていただいております。社内環境の整備はもちろん全体の売上拡大に向けた動きや各事業部・課との連携が主となっており、非常に充実感と仕事への意欲で満ち溢れています。社長の掲げる60憶という決して遠くない数字に辿り着くため、昨年から新規事業も立ち上がりました。一喜一憂せず、どんな状況でも他人のせいにするのではく、まず自分自身を見つめ日々反省し、日々自問自答しながら、自分にしかできないことをやっていこうと思います。



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