サインとデザインのムダ話

 
「エモ」を考える
岡山  奈緒子さん 岡山 奈緒子 おかやま なおこ
株式会社 クリエイティブダイワ 取締役

 コロナウイルスが蔓延するずっと前から、「モノよりコト」というフレーズはよく聴いていた。最近のセミナーに参加してもこれが時代のキーワードとして度々取り上げられているが、今となっては一昔前の話である。
 2020年以降から、モノ→コトに続きトキ→イミとシフトし、「エモ消費」の時代と言われている。エモ…

 「エモい」最近良く耳にする言葉だが、感情が動かされる状態を指すそうだ。

 モノ消費は、所有することに価値を見出すこと。コト消費は物質的ではなく精神的な満足を求めること。トキ消費は「その瞬間・場所」でしか味わえないトキを楽しむこと。イミ消費はそのモノ自体の機能だけではなく、それらに付帯する社会的・文化的な「価値」に共感しそれらを選択する事で、充足感や貢献感を得ること。
そしてエモ消費は、モノやコトではなく精神的な満足度を重視することで、ヒトとヒトが繋がって共に感動を分かち合うコト。消費行動そのものに貢献感や満足感が伴う消費を指すらしい。このように追って見て行くと、1つのモノから1人のヒトにシフトし、1人から大勢の中の1人である事に視野が広がり、価値観が広がっているのが見て取れる。

 そこで私が生業としているサインには何が出来るのかを考えてみた。サインの基本的役割は「ヒトと何かを繋ぐこと」であると考える。ここにいるよ!ここにあるよ!とか、こんな料理が食べられるよ!など、ヒトの代弁者として自己主張できるモノ。それを見た人が対象にたどり着く為に利用できる便利なアイテムだ。エモの条件「繋ぐ」という役割は機能的に果たせていると思う。

 では「共に感動を分かち合う」という要素はどうだろうか。そもそも共に感動を分かち合うというのはどういう事なのだろうか?

  そこで、もし地球上に自分1人しかいなくなったら?と極端な想像をしてみた。
1人だったら…
 着る・・・誰もいないなら裸でも良い。髪は伸ばせば防寒にも役立ちそうだ。シミも、ぽっこりも怖くない。
 食べる・・・本能的な欲求なので、満たされれば喜びは感じるだろう。
 寝る・・・対人関係がないのだから時間の制約はない。納期も、約束もない。思う存分好きなだけ眠れる。
 暮らす・・・雨風さえしのげれば何処でも良い。洞窟だったら手を加えずそのまま使える!洞窟探しに出るだろう。
 サイン・・・主張の必要は無い。自分が理解できる印があれば良い。

2人以上だったら…
 着る・・・少しでも美しく良く見せる努力をし、見られる歓びを感じるだろう。そして何らかの評価を求めそうだ。
 食べる・・・誰かと味わう事が出来たら、美味しくても不味くても心が動くだろう。うんちくを語り、もっと美味しく!美しく!の工夫をするようになるだろう。
 寝る・・・少なからず時間の制約は生まれるだろう。しかし、制約の先にある何かに心が弾みそうだ。
 暮らす・・・より快適さを求めるようになるだろう。見られる事に優越感を感じ装飾を施すようになるかもしれない。
 サイン・・・他者にも理解できるよう解りやすく、目に入りやすい工夫をするだろう。

 1人でなく誰かと繋がる事で、様々な感情が動き出す。裸んぼうで走り回ったり、時間の制約もなく好きなだけ眠れるのはとても魅力的ではある。だけれどそれは1人だったら発生しない感情ではなかろうか。これまで人と関わってきた経験や記憶があるがゆえに感じる魅力だ。最初からずっと1人であれば2人以上から湧き上がる感情を知らないから、比較する対象もなく心が動くことも無いのでは?こう考えると、他との比較はネガティブな印象を受ける事が多いように思うが、ヒトでもモノでも比較する対象があるから感情が動かされ、良くも悪くも自分を動かす原動力に繋がっている。人それぞれ見てきたものや、生きてきた環境は違えども、自分の記憶の引き出しから比較の対象を見つけ出し、無意識に何かと比べ、感情が動かされていることに違いはないと思う。これらの比較は、大きい・小さい、便利・不便、早い・遅い、美味い・不味い等コントラストが強いものほど感情の動き方も強いように思う。
 そして感動を分かち合うという事は、1つの対象について誰かと考える事なのではと考える。私は美味しいものが大好きだが、誰かと一緒に味わい、柔らかいだ!ふわふわだ!などウンチクを語る事で心が高揚し充実感をも味わえている。対象に対して考え語り合う事で感動が生まれているように思う。改めて、ヒトに生かしてもらっているな、を実感する。
 エモ消費では、コスパでなくあえて手間暇がかかってしまうものや、不便なもの、などが価値と捉えられている。「なんかいい」という感情で心を満たすという精神的な価値を求めているそうだ。このエモい価値観は、主に若年層が惹かれていると言われているが、今の便利さと昔の不便さのコントラストの強い時代を知っている中高年層も、昔との比較で「なんかいい」とヒトとの繋がり方や昔の手間暇を思い出し、価値を感じるのではないかと思う。私自身、中年であるがエモと呼ばれる精神的価値観に魅力を感じる1人である。今の満ち足りた世界は心の動きが少ない、コントラストの弱いミディアムグレーとライトグレーのような世の中になっているのかもしれない。
 少し足を伸ばしすぎたが、こんな背景で飲食店のキャッチコピーを考えるならば、「探し当てた充実感が更に美味しさを引き立てる!」などの表示で、あえて遠回りの誘導をするとか、地図を図でなく文字で表現し「北へ2km進んだのち西へ1km進んだ角、本屋さんの隣にお店があります!」等の表現で、来てくれた人には方位磁針をプレゼント!なんてことをしてもエモを満たせそうだ。見つけられた人だけが分かち合える感動。酒屋さんの杉玉や、赤提灯なども直接的な表現でなく、想像を掻き立てられエモを感じられそうだ。
 今までは、便利・快適を一番に考えプランしてきたが、命に関わるような事以外は、ちょっと考えないと分からない、すんなり辿り着けないなど、難解な要素を取り入れたサインをプランしても良いのかもしれない。
 このように価値観がシフトしてきたのもコロナウイルスの蔓延がきっかけになったのではないかと考える。コロナは、ヒトとの繋がりの大切さや感情を動かす事の大切さを知らしめる為のサインなのかもしれない。
 この先どんな時代がやって来るのかは分からないが、今与えられたこのサインと共に、ヒトの心が豊かになるようなエモいサインを作りたいと考える今日この頃なのであります。


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