ネオン前線北上中

 
 腕自慢・ワザ自慢 141 
関東甲信越北陸支部
(株)昭和化成
丹羽新哉
さん
――どのようなお仕事をされていますか?
 入社以来36年、ずっとケンタッキーフライドチキンの看板を担当してきました。最近は、京都に和紙を使った作品を作る著名な先生がいるんですが、その製作のお手伝いをすることも多いです。
――これまでで特に手ごたえがあったものは?
 和紙に特殊な防水加工を施して作った全長4mの鯨の神輿ですね。佐賀の呼子という町のお祭りで、この10月にはじめてデビューします。セミクジラが祀られている町なんです。あとは結婚式場の天井にぶら下げる、直径2.5mの球体照明器具の製作がやりごたえがありました。FRPに出力シートで絵(柄)を描いて球体に定着させて、チャペルを明るくしたり暗くしたりと演出します。工場もありますので、ものができていくのを目の当たりにするのが楽しいです。スケールの大きいものを作るのはこの仕事の醍醐味ですね。
――なんともユニークなものが多いですね。お仕事の中で苦手なことはありますか?
 お金の計算です。見積りをして予算と製作の折り合いをつけるんですが、簡単にできるだろうと踏んでいざやってみると、思ったより手間がかかる、みたいなことがしょっちゅうあります。
――休日はどうされていますか?
 母親名義のコンクリート構造の家があって、40年経ってボロボロなのでリフォームをもっぱらやっています。もう1年やりましたけど、ひとりなのでさらにあと1年くらいかかりそうです。完成したら人に貸そうと思っていましたが、やっている間にすごく愛着が湧いてきて、貸すのがもったいなくなってきました(笑)。
 
 う・ち・の・会・杜 182 
関東甲信越北陸支部
(有)ヒロセ工房
代表取締役 廣瀬 景
さん
 (有)ヒロセ工房は1987年、廣瀬景社長がお父様(会長)といっしょに山梨の富士吉田で創業(直前の5年間は、それぞれ別の看板会社で修行されています)。
「父は絵が好きで日本画を描いていました。前職だった織物(富士吉田は織物で有名でした)が不景気になった時に、絵を描きたいと思ったらしいんです。ちなみに習字教室の先生もやっており、私もそこで習字を習っていて、文字を書くのが好きになりました。ただ、実際に看板屋で文字や絵を描くシーンはそれほどありませんでしたが…」
「父はまた怖いもの知らずでもあり、大手ゼネコンとお付き合いができるようになったんです。前職の営業のノウハウでしょうが、懐に入るのが上手でした。人脈もありました」
 かく言う廣瀬社長も製作・現場取付あがりの営業の人。最初の大きな仕事は大手ゼネコンからの横須賀の庁舎の仕事でした。
「当時はゼネコン対応をどのようにしたら良いのか全くわからず無我夢中でした。そこでの学びは、いかに自社で施工図の対応ができるかという事でした。幸いにも、丁稚奉公でお世話になった会社がそういった対応ができましたので協力していただきました。またこの時の事が、弊社の方向性を確立するきっかけにもなりました」
 今では技術的にも優秀なスタッフが育ち、お客様からの信頼もいっそう厚くなりました。
「看板は仕事から生まれる幸福感を味わえます。人とのご縁で仕事をさせていただいています。これからも『豊かな感性と想像力、街を彩るモノ造り』を目指して頑張っていこうと思います」

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