Vol.55
 腕自慢ワザ自慢 
ステンレス箱文字、 銘板制作 四国支部 福岡 武志さん
福岡 武志さん

 ステンレスの箱文字や腐食銘板ならこの人と、四国はもとより関西方面からも受注がある福岡武さんです。

―独立開業ですか?

「やりだしたんが30歳になる前でした。それまでは父の会社(福岡板金工業)で、建築板金の仕事を手伝っていましたが、材料屋さんから看板の相談があり、それがきっかけになりました」
「一人で試行錯誤をくり返して、分からないところはよそのを見て、扱い馴れた亜鉛鉄板から始めました。今思うと、自分で考えてモノを造ることが好きだったんですね」

―一人で創意工夫をされた?

「大がかりなレーザーの機材を入れて、ステンレスにも挑戦しました。技術的にも満足できるようになるまで5年ぐらいかかりました。文字の制作加工はおもしろいなと思いましたね」

―仕事場でのモットーは?

「一番先に目につくものだから、きれいに仕上げることをまず徹底させています」

―手先の器用さはもって生まれたもの?

「そうですね。新入社員にはタップを切って裏板の取り付けをやってもらいます。それで大体、その人の器用さが分かりますね」

 
 う・ち・の・会・杜 
関西支部
(有)木下看板製作所 代表取締役 木下 忠さん
木下 忠さん

 まぢかに瀬戸内海をのぞむ兵庫県明石市に木下看板製作所はあります。設立は昭和57年。昭和51年に一人で独立した時は小さかった会社が、今は「見に来てください。千坪あるんですよ。」関西地区指折りの広い敷地だそうです。

 一般的な看板全般と、時代とともにネオンも手がけています。社員数は多い時で20人を数えましたが、近年の景気の影響や、また独立する方もあって今は12人です。

「現在ではあまり現場に出なくって・・・」と、言う木下さんですが、会社の成長は何と言っても盛り立ててくれた人たちのお陰、と謙虚なお人柄です。モットーとされる言葉が 出会いを大切に”。

「例えば、仕事で初めてのお客さんと知り合う。その方から、また別の方へつながっていくことがあるでしょう。次々と出会いがある。」木下の仕事なら、と言われるようにいつも心がけてきたと言います。「逆に、一人、敵を作ったら、10人の敵がいると思え”っていうでしょう」だから常にきちっとした仕事をして、出合った方との信頼関係を築きたい、と語る木下さん。その言葉には、重みと自信が感じられました。

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