ほっとコーナー

ランニングの効用
関東甲信越支部
 (株)東京システック 佐藤 彰
 

 今年25歳になる我が家の次男が生まれたとき、親が子に果たす責任は何かを考えてまず頭に浮かんだのが「健康」であることであった。長男の誕生の時はあまり強い意識はなかったが、両肩の重みというべきか、急に思い立ち行動に走らせた。

 元来、運動的なことは嫌いではなかったが、体質が鈍く不向きであった。しかし、運動不足でもあり、何かやって見ようという潜在意識は持っていた。手近なものからという軽い感覚で始めたのがジョギングである。

 最初は普段着のまま、靴もスクールシューズのようなもの、軽く散歩程度のようなもの、それでも200m位で息があがってしまった。続けるに従い距離も時間も長くなり、半年で5km位続けて走れるようになった。

 徐々に身なりにも気が回るようになって、冬場でも短パン、Tシャツで走るようになったが靴にいいものがなく、時々かかとが痛くて走れなくなり閉口した。ナイキのエアーマックスなどなかった時代である。

 ある時、かの愚息が小学校上級生になった頃、近所の同級の女の子より「◯◯くんのおじさん、足が太いね」と言われたという、そして曰く「お父さん、短い足出して近所をうろうろしないでよ」「・・・」。それ以来「短パン」はやめて「スパッツ」にした。その次男(浅草在住)が20歳を過ぎた頃、「ボク最近、夜、隅田川の近くをジョギングしてるんだよ」といった。「そうか、それじゃ今度の大会に一緒に走ってみるか」「いいよ」。

 埼玉県幸手市のマイルマラソン(16km)に参加した。スタートしてまもなく息子の姿を見失ったが、10キロを過ぎたあたりで前方に姿を捉え、やがて抜き去った。

 ゴール後、待つことしばし、やがてフィニッシュした息子が言った。「お父さん、頑張るー」今度はいってやった「キャリアが違うよ」。

快い充実感と、成長した子とひとときを過ごせたうれしさも合わせ、額を流れるものは汗だけではなかった。健康バンザイである。

 こんなプロローグがあり、今では近隣のイベントに参加するようになり、その回数もまもなく30回を超える。この間、何回かの中断期間があったが、ランニング歴は20余年になる。

 ここ数年、運動不足を解消するため中高年でジョギングを始める人が多いと聞くが、自分はこれらの人のような「駆け出し」ではないと強く自負している。

 しかし、子供がわざと力を抜いて親に華を持たせたかもしれないし、体力の差は歴然としているのかもしれない。

 体の調子が整わない時はそれなりに、調子のいい時は3時間を越えても足が動き、走り終えた後の充実感はこの上ない喜びに変わる。

 シャワーで汗を流し、冷えたビールの喉越しの心地良さに魅せられて、これからも健康で続けられるよう自らに誓いを立てるのである。

 
 

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