Vol.66
 腕自慢ワザ自慢 
製作全般 関西支部 木梨博之さん
(株)キナシアド

 (株)キナシアドとしての創業は、昭和21年。当時は鉄骨業でした。業務内容を看板製作に移行したのは先代の時。木梨鉄工所、キナシアド両方で約40年となりますが、屋台骨が鉄骨であることに変わりはありません。

「鉄骨屋から広告屋に大転換し、屋号も変えたのです。親父は、先見の目があったのでしょうか。まず順調です。親父が亡くなった後を受けて、僕が社長を継いだのは3年前」と話す木梨博之さんは、35歳という若さです。 「家業として関わって14年になります。僕が手がけた看板製作は大きいものでは30件くらいになったでしょうか。」

 鉄骨看板は、壁がないビルを組み立てるようなもの。作業は大がかりです。 「ですから、僕が心がけるのは、段取りをよくすること。職人さんの意見をよくきくようにします。やはり現場の意気込みがスピーディな仕事には大切ですから。僕自身が自慢できること、それはまだまだでしょう。いまは模索しながら・・」 「好きな色は青、愛車はなぜかシルバー色」という青年社長は、先代のバトンをしっかり受け継いで、堅実に歩いています。

 
 う・ち・の・会・杜 
中部支部
(株)ヒカリサイン 代表取締役社長
勝幸光雄さん

 創業は昭和58年。勝幸光雄さんの名前にちなみヒカリサインと命名。

 平成3年に株式会社に組織変更とともに、郊外の春日井郡師勝町に移転し、新社屋を設立。700坪の広い敷地内の工場で、大型の屋外広告も外注に頼らず自社で製作できるようになりました。

 製作に関しては受注毎にチームを組み、設計から製作、施工、もちろんメンテナンスまで同じチームが受け持ちます。「取り付けまですると、ものをつくる楽しみがよくわかります」と、勝幸さん。社員も徐々に増えて現在は8名。平均年齢30歳の若い社員たちが『お客さま第一主義』の方針で、全員一丸となって仕事に立ち向かいます。 「屋外広告は10年、20年と残ります。街にあって、誰に見られても恥ずかしくない、誇れるものを作っていくことが大事なことだと思っています。胸を張ってヒカリサイン謹製と付けることができるものを今後も作っていきたい」と、時代の流れに沿いながらしっかりとしたポリシーを持つヒカリサインです。

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