私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.49
 ―この道50年を振り返って―  
     関東甲信越支部 (有)富士ネオン 亀井祥一郎

亀井祥一郎氏 私は九州福岡にてこの道に入りました。18歳でした。
 一年程して上京、(株)昭和ネオンに入社、現高村会長には大変お世話になり、総合看板会社の業務内容もある程度知ることができました。時には現場にも行きました。東京タワーの作業もあり、いろいろ大きな作業も経験することが出来ました。
 18年間の修行を経て独立、皆様のお力添えを受けながら無心に働きました。数年後オイルショック等大変苦しい時期があり、作業場も何社かのご好意に助けられ、お陰様で現在があります。そして、この道50年になります。
 (株)昭和ネオン入社は、私にとって大変幸運であったと思っております。ネオン管の色も増え、点滅器は電子に変わり、インバータートランス等年々新しい機器が出てくる中に、ネオン曲げ加工は昔ながらの手作業で職人の技に頼る現状です。
 ネオン看板に限らず、何年先でも人の手作業でなければならない素晴らしいものがあるのではと思います。その一つがネオン看板であり、広告塔であると思い、この作業に係われた人生は有意義なことだと思います。これからも出来るだけ続けていくつもりです。よろしくお願い申し上げます
 さて、このたび関東ネオン業協同組合の理事を退任することとなりました。協会員、組合員のみなさまには大変お世話になり、今までこられましたことを深く感謝いたします。ネオン管技工士試験につきましては、地方の皆様の参加を得て、当社(有)富士ネオンに来社いただき、受験していただきました。少しはお役に立てたかなと思っております。
 皆様と総会に出席したり、旅行したりしたことは本当に良かったと思っております。行事の一つ一つが楽しい思い出になり、自身の反省と励みとなっております。皆様、本当に有り難うございました。業界の発展と繁栄を祈念申し上げます。

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