特別報告

 

特別報告 アラブ首長国連邦という国

      理事 梅根憲生

image 「サイン&グラフィック イメージング 中東2002」という国際サイン資材展がアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで1月下旬に開催された。この資材展の開催に関して、ネオン協会の事務局に突然招聘状が届いたのは、昨年の11月中旬のことであった。当初、中東僻地の資材展に興味を示す者もなく、危うく没になるところだったが、海外旅行マニアの数人が資材展も然ることながら中東ドバイを見たさに、急遽参加することになった。参加者は板野副会長、小野理事、加藤事務局長、それに私の4人である。
 ドバイは成田から、シンガポールでの数時間のトランジットを加えると、17〜18時間の長旅になる。距離的に遠いだけでなく、ドバイに関する情報は距離以上に遠く手の届かないものであった。それだけに、海外旅行マニアを自負する我々にとってもカルチャーショックは相当大きいものだった。しかし、カルチャーショックが大きければ大きいほど、海外旅行の楽しさは倍加するものである。
 アラビア半島の東部に位置するUAEは7つの首長国で構成され、つい30年前の1971年に独立したばかりの新しい国である。首長国は日本の都道府県に相当し、ドバイはUAEの首都があるアブダビに次ぐ首長国である。人口85万人で80%以上がインド、パキスタン、スリランカ等の出稼ぎ外国人で、生来のアラブ人は10%強に過ぎない。出稼ぎ外国人は何年居住しても帰化することは出来ない。従って、国勢上の人口はいたって少ない。雑役などの肉体労働は勿論のこと、商業、サービス業の実務はすべて外国人が従事し、少数のアラブ人は投資と企業のマネイジメント、そして行政等の公務を司っているに過ぎない。外国人事務職の給与が6〜8万円、上級管理職でも20万円程度だが、アラブ人の大卒初任給は45〜50万円だそうだ。世界一の高給初任給である。つい40〜50年前まで真珠採りと沿岸漁業のひなびた港町に、突如1966年に石油が発見され、この30年で世界でも類のないスピードで、有り余るオイルマネーを駆使して超近代都市が現出したのだ。その勢いは未だ止まるところなく、郊外の砂漠地帯に膨張している。UAEの2000年の1人当たりGDPは2万ドルを超え、中東で最も裕福な国になった。
 ドバイの市街は中央南北に走る大きなクリークを挟んで東西に2分され、ほぼ10km四方の市街地を形成している。片側3〜5車線のフリーウエイが交差し、スークと呼ばれるスパイス、貴金属、衣料品等の昔からの市場、50階を越える超高層のビル群、点在する巨大ショッピングモール等が不器用に混在している。高層ビル群は香港やシンガポールを思わせるが、ほとんどのビルが豊潤な資金力にものをいわせて、曲線を多用した奇抜で大胆なデザインで、これまで見たことのないような近未来的な都市景観を呈している。
 ドバイには2つの顔がある。一つは貿易の中継地と中東の金融センターとしての商業都市という顔である。法人税が20年間免税されるドバイ近郊の自由貿易港ジュベル・アリを含めると日本の主要企業87社、850名の駐在員をはじめ、多くの海外企業が中東・アフリカ地域の統括センターをここにおいている。今や中東一のビジネスセンターである。日本はUAEの石油輸出の最大の得意先であるため、駐在日本人は欧米人並の1種外国人と呼ばれ、インドやパキスタン等の2種外国人に比べ相当優遇されている。交通違反なども免除されることが多いという。石油の見返りに日本製品が多く輸入され、市内を走る車のほとんどはトヨタか三菱だ。
 もう一つの顔は、リゾート観光地としての顔である。やがて到来する脱石油時代を予見して観光立国を標榜し、観光客誘致に力を入れ始めたのはつい3〜4年前からだそうだ。建国の歴史が浅いため、いわゆる名所旧跡は数少ない。透明度の高い美しいビーチ、郊外に広がる茫漠たる砂漠、大型モールでのショッピングなどが呼び物だ。隣接するサウジアラビアやオマーンに比べるとイスラム教の戒律も甘く、外国人や旅行者は酒も飲めるし、カジノこそないがホテルには妖しげな高級ナイトクラブもある。市内から数キロのリゾート地、ジュメイラビーチでは1年を通して多彩なマリンスポーツが楽しめ、世界有数の高級リゾートホテルが立ち並んでいる。中でも高さ321mのバージュ・アル・アラブという帆をイメージした宇宙ステーションを思わせる奇抜なデザインの超高級ホテルが圧巻だ。海に突き出た地上300mの空中レストランで、大枚1万円のランチをせいぜい楽しんだ。ドバイならではのツアーもある。市内から車で30分、パリ-ダカ・ラリーよろしく4WD車で広大な砂丘を上下縦横に駆け巡り、360度の地平線に沈む真っ赤な日没を見る。その後、砂漠のど真ん中のキャンプで満天の星を見ながらのバーベキュー。心地よい水たばこと酒を飲みながらのベリーダンス観賞。アラビアンナイトさながらのデザートサファリはエキサイティングな体験だ。
デザートサファリ いくつもある巨大ショッピングモールには世界中の高級ブランドが揃い、フリータックスの安価なショッピングは香港以上だ。観光客だけでなく、透き通るような美しい眼だけを出した全身黒ずくめアラブ貴婦人が、どこで着るのかブティックでパリファッションをショッピングしている。砂地に外国から輸入した粘土と芝生を敷き、火力発電の余熱で淡水化した水をふんだんに使った青々としたゴルフ場もいくつもある。数年後には、気温50℃、体感温度70℃という真夏の酷暑でも滑れる大型屋内スキー場を建造するという奇想天外なプロジェクトもあるという。
 それにしても、ドバイは予想以上の近代都市であった。しかし、石油の埋蔵量は無限ではない。無限どころか数10年で枯渇するという説もある。限られた年限でドバイはもう一度大きな変貌を遂げなければならない。今の豊かさに慣れ親しんだアラブ人がどう変貌するか大いに興味のあるところだ。また、ドバイは今、自然から与えられた石油という富をもって、酷暑と乾燥という苛酷な自然に果敢に挑戦している。その姿が猛々しくも痛々しい。どこまで富と人知が自然を克服出来るか、はたまた興味深い。
 ドバイは住民のほとんどが外国人で、都会的センスと喧騒に包まれた都市であるため、ビルの狭間に埋もれるように立っているモスクに出会わないと、時にアラブの国にいることを忘れてしまう。しかし、ドバイを離れて地方都市に足をのばすと、中東アラブ特有のエキゾチックな旅情を味わうことが出来る。1リットル20円、コーラの半分の安価なガソリンを満タンにして、ドバイから制限時速のない砂漠の中の真っ直ぐなハイウエイを2時間もひた走ると、アル・アインという街に着く。アラビア語で「泉」を意味するオアシスの街で、アブダビ首長国第2の都市である。街を行く人のほとんどが子供を含めアラブ独特の民族衣装を身に着けている。男性はディスダージャという足元までの長く白いシャツドレスと頭から白い布と2重の輪、女性はアバヤという長く黒いローブと頭から黒いスカーフの黒ずくめという衣装だ。民族衣装をまとった彼らの中に入ると否応なくアラブに旅していることを実感する。敬虔なイスラム教徒である彼らは、街の中心部にあるモスクから町中に流れるアザーンという礼拝を呼びかける放送に呼応して、コーランを朗唱しながら1日5回の祈りを捧げる。数少ないオアシスの街らしくしっとりした風情がある。豊かな緑の街路樹、植物園、大型噴水などが誇らしげに点在している。街の中心には、アラビックなスークがあり、食料品から雑貨、香料、果ては銃器まで売っている。郊外には牛やヤギの家畜市場、さらにらくだの市場や牧場もある。アル・アインを離れ、南西に車で20分のところにアフィートという山がある。平坦な砂漠の中に突然露出する恐ろしいほど乾燥した岩山だ。自生する植物は全くなく、月世界の岩山を思わせる荒涼とした異様な山だ。海抜1340mの山頂に向かって、実に不似合いな街路灯とガードレール付のアスファルト道路が走っている。15分で一気に頂上へ。頂上にはサッカー場のように広い駐車場兼展望台があり、数台の観光客らしき車が止まっている。展望台から見る光景は、どこまでも続く茶褐色の茫漠とした砂漠だけである。奇異な眺望の中に、数100m離れたもう1つの山の頂に、これまた実に不似合いな瀟洒な豪邸が数棟建っている。あれは何だ。何年か前に日本の皇太子ご夫妻も招待されたという国王の別荘だそうだ。さらに驚いたことには、別荘の周りだけ青々とした芝生が密生している。数10km離れたアル・アインからこの別荘のために、この芝生のために水を引いて来ているのだ。なんという贅沢だろう。
アフィート山の国王の別荘 こんな王族の奢侈をこの国の民衆はどう思っているのだろうか。日本ならそんな政権は1ヵ月ももたないだろう。今、世界のどこを見ても、有り余る富とほしいままの政治権力の双方を手中に納めている政権はアラブ以外にない。世界の為政者にとっては垂涎の的であろう。UAEには政党もなければ民主的な選挙制度もない。国王とファミリーの権限は絶対で、市民が政権の交代を求める権利やましてや言論、出版、集会、結社の自由もない。代わりに、税金を徴収しないばかりか低所得者には相当の金銭支援をするという人心掌握術がアラブの王様のやり方だ。それにしても、国情の違う異国を旅して、改めて日本の良さを認識するのも海外旅行のメリットの一つだ。
 予想に反し、ドバイのサインは、資材展を開催するに充分ふさわしくかつ多彩だ。FFの店頭電飾サインからバックボーダー付の屋上ネオン塔まで、あらゆる種類のサインが街中に溢れている。そのボリュームときらびやかさは、明らかに香港や台湾を凌いでいる。しかし、これまで多くの国を巡り、多くのサインを見てきたが、量的にも技術的にも、そしてデザイン的にも日本のネオンサインは間違いなく世界一である。そのネオンを担っているのが、我々ネオン協会の会員である。今、その日本のネオンが大変寂しい。世界一のネオンの光を守るためにも、我々がもっと頑張らなければと、そんな使命感みたいなものを感じながらドバイを後にした。

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