インタビュー

梅澤忠雄氏
カジノはスパイス
梅澤忠雄氏
都市開発プロデューサー・工学博士
東京大学客員教授
1943年生まれ。1966年東京大学工学部都市工学科卒。1991年梅澤忠雄都市計画事務所設立。大川端リバティシティ21、幕張メッセ、幕張新都心、筑波テクノパーク、六甲アイランドシティなど多数の大規模都市開発をプロデュース。ウォーターフロントブーム、コンベンション都市ブーム、リゾート開発ブーム、都心超高層居住ブーム、建築物の屋上緑化ブーム、都市再生ブーム、開発特区、経済特区ブームの仕掛け人。民活法、リゾート法、都市再生法の成立にも寄与。日本カジノ学会理事、(財)住宅都市工学研究所理事、NPO屋上開発研究会会長。

 日本のカジノ待望論がいよいよ大きなうねりになってきました。国連加盟国185カ国中、113カ国がカジノを合法化しています。日本も114カ国目を目指して、沖縄、秋田、静岡、石川など各地でカジノを待ち望む動きが大きくなってきています。
 ここへきて、俄然注目されているのは石原都知事の「お台場にカジノを」という発言。そのお台場カジノの絵をかいている都市開発プロデューサーの梅澤忠雄さんに現状をお聞きしました。梅澤さんは日本カジノ学会の理事でもあります。
─カジノの実現に一番近いのがお台場でしょうか?
  「カジノさえあれば」というのとは違うんですね。沖縄や、宮崎もシーガイアがつぶれてその後につくりたいとか、熱海や能登半島、大阪臨空タウンや名古屋も中部空港でやりたいと言っていますが、お台場の場合カジノは一つのスパイスなんですね。須スパイスではありますが。リゾートホテルやコンベンションセンター、外人住宅、リタイヤメント住宅、ブランドショップ街、アウトレットモールなど総合的にサービス産業コンプレックスを集積したなかにカジノもあると。カジノだけあってもお客さんは呼べませんよ。
─梅澤さんが提案なさっている円形広場を囲むホテルや住宅のCGがそうですね。
 CULTURE ENTERTAINMENT CITY構想です。円形広場は360度LEDディスプレイモニターになります。デジタル映像でミラノのスカラ座などの公演を衛星中継する。24時間開放型の大人の遊び空間を出現させる。
梅澤さんが提案している「カルチャーエンターテイメントシティ」のCG。1万室のカジノホテル「グラン・コロッセオ」を核としてのカジノはもちろん、劇場中継、ショッピングモール、24時間開放の大人の遊び空間が出現する。
 あのラスベガスでさえカジノ産業については、10年ぐらい前から構造不況産業と認識して転業対策を考えてきた。いろいろな試みをして、現在はファミリーエンターテイメント指向になっている。日本から年間100万人が訪れると言います。ハワイが250万人ですから。それでもラスベガスのカジノの売り上げは横ばいですよ。カジノだけがあってもだめなんです。今までの発想ではカジノ=悪いもので、離島や離れたところでやればいいといった発想でしたが、正々堂々とお台場でやろうじゃないですか、ということなんです。お台場はかっこうの場所なんです。雇用の拡大など、経済波及効果は計り知れない。ゼネコンが元気になれば不良債権なんて、アッという間に解決ですよ。立地も東京の人にとって行きやすいですし、アジアの人達の大人の観光スポットになる。ディズニーランドもファミリーにはいいですが、大人はそう何度も行かないでしょう。大人が楽しめるように、大胆にエンターティメント産業集積をつくりあげていく。もしかしたら、東京の生き残る道はそういうことしかないかもしれないですね。
 アジアのお金持の人達を呼ぶにはまず羽田を国際空港にして、アジアの国々の成長都市と24時間シャトル便で結ぶ。すごく快適なアクセスをつくって、羽田からお台場に15分で到着できるようにすると、たとえば上海から金曜日の夜にちょっとお台場にと、思い立って2時間でもう着いてしまう。そこには日本料理を楽しめるレストランがあったり、世界の超一流エンターティメントが楽しめたり、カジノもあったりする。
─ワクワクしますね。実現はあと何年と思われますか?
 おそらく、3年から5年でしょうね。10月の中旬に都庁展望室でカジノ模擬体験がありましたが、カジノを可能にするのは6月に立法化された都市再生緊急整備地域です。
インフラストラクチャーが整備された臨海副都心は、規制を外す特区に最適です。周囲は海だから日影なんて考えなくていい。東京に現代の世界的大租界ができるんです。
─ネオンの可能性も広がりますね。
 ネオンてすごく面白いですよね。圧倒的なネオンのラスベガスは夜を旨としてデザインされた世界都市です。CULTURE ENTERTAINMENT CITYもまさに24時間の世界都市。
 ラスベガスでは90年代に入って「テーマパークホテル」という新しい概念を持つホテルを開発して、目覚ましい進化を遂げました。世界中から年間3000万人もの観光客を呼び寄せるエンターテイメント都市です。注目すべきはテーマパークホテルの誕生は、最初のヒントが日本にあったことです。実際にエクスキャリバーを考案したコンサルタントは東京ディズニーランド(TDL)を手がけたその人であり、舞浜をヒントにラスベガスにテーマパークホテルをつくったというエピソードがあります。日本のバブルが弾けてからも依然客足の衰えないTDLと舞浜ホテル群の好調を目の当たりにした彼らは、時代に合わせた低価格路線でやれば絶対ヒットすると確信したのです。
舞浜の美味しい部分だけをとって圧縮し、投資資金も圧縮して4000室超のホテルコンプレックスを備えたテーマパークホテルを出現させたんです。
 エクスキャリバーは2年余りで投下資金を回収して、事業主体のサーカス・サーカス社は3年目には第2弾のルクソールさらにマンダレイベイを完成させた。今やとどまることを知らない勢いで発展しようとしています。カジノがあるからテーマパークホテルが成功したわけではないのです。カジノは大人向けのアミューズメントの一つにすぎないんです。本当のカルチャーとエンターテイメントが待ち望まれていると思いますよ。

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