ネオンストーリー

 
  「はるさきのへび」 の中の階段の上の海より -その1
椎名誠著 集英社 刊

 先生がぼくの周辺のことで興味をもったのは銀座に勤めている、ということのようだった。
「勤め先が銀座なんですか?」
 と、諸見里先生はピクン!とその時身を反らすようにしてぼくを見た。
「私、三年前に石垣島からこっちへやってきた時、おじいちゃんと父に反対されたんですが、でも教育は東京だ!っていう、わたしの中のなんだかやみくもなココロザシみたいなものと、銀座のネオンを見たい!っていうのとで思い切ってエイヤッって、こっちへきたんです」
 諸見里先生は「エイヤッ」っという時に右手に握りこぶしをつくり、それを素早くふりかざしてみせた。
「エイヤッっと、ですか・・・」
 それがちょっとおもしろくて、ぼくはそのとおり真似をした。
「ええ、そうなんです」
 先生は子供のように頷いた。
「それで銀座のネオンはどうでした?」
 おもしろがって聞いた。
 先生は窓をむいてまたすこし笑い、
「それがですね、こっちへきて三年になりますが、これまでのところ池袋と新宿までで、まだ銀座のネオンは見ていないんです、けっこう難しいんですよねえ。だって小学校の教師にはやっぱり銀座のネオンなんてあまり関係ないんです・・・・」
 ぼくは諸見里先生の顔を正面から眺め、この人は、あの日、暑い夏の昼下がりにプールではじめて会った時にくらべてずっと若い、ややもすると”少女“に近いかんじのあどけなさを沢山残した海の気配のする女性なのだ  ということを知った。
 電車が四ツ谷に近くなった頃、ぼくは覚悟を決め、さっき先生がやったように体の中で握りこぶしをつくって、そいつを”エイヤッ“っとふりかざしながら、
「先生!よかったら今度いつか銀座のネオンを見にきてくれませんか。ぼくが案内します。秋なんて実にいいですよ」
 思い切ってそう言った。そう言ってから、草花じゃあるまいし、銀座のネオンは秋がいいですよ、なんてずいぶんヘンテコなことを言ってしまったな、と思った。

 
 

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