私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.54
ネオンに魅せられて 出会いに生かされ35年
     中国支部 (株)キョーワ 福島 薫

福島 薫さん 私がネオンを初めて知ったのは、先代の社長(創立者である父親)が高校の夏休みにアルバイトに来ないか?というのがきっかけで友人と二人で行った時でした。その時、完成して点灯した時のネオンの輝きは苦労した分とても感激し、こんなにも美しいものか!と、自分も父の仕事をやってみたいと心に決めました。
 大学時代もアルバイトは続き、サラリーマンの兄よりも自分が父の会社を継承するものだと周囲も自分もそう感じていたものでした。父は私に営業をやらせたかったらしく、卒業してもすぐには父の会社には入社せず、SONYで営業マンとして3年間お世話になり、そこでの3年が後に役立った事はいうまでもありません。電話の応対、お客様に対しての態度など、あらゆる面で営業の基本を習ったような気がしました。
 その後、父の会社に入社してみると、Uさんという広告代理店を退社したベテランの人も一緒に入社していて、この人と二人でいろんな事を教えてもらいながら、新規開拓に何軒も何軒も朝から晩まで走り回ったものでした。大手の支社から支社への飛び込みセールスは本当に勇気がいりました。100社くらいは回ったでしょうか。その中で5、6社は今でもでお取り引きが続いております。
 さて、その時に(25年前)広島に本社のあるハウスメーカーさんから分譲の看板のご注文をいただいたのは良かったのですが、ペンキで書くのはダメで印刷したような仕上がりにして欲しいとの事。予算は問わない・・・とはいうけれど、イラストあり、部屋の間取りあり、取り付けあり。しかも取り付けの日は決まっているので頭をかかえていたところ、広島で最初にカッティングシートの施工専門店のJ社の協力を得て、360角の中にびっしり文字が入った看板を完成させる事ができました。当時はまだ、カッティングマシンを持っている会社はほとんどなく、原寸原稿は写植でおこし、手切り加工したものでした。それがカッティングマシンで切ったようなきれいな仕上がりで、納期も間に合い、当然お客様に満足していただいた事はいうまでもありません。
 そんな仕事を快く引き受けたりしている間に、そのメーカーが大手の傘下に入るという事で、本社の塔屋パナグラを2面、7階部分にネオン看板を3面、2階部分にステンレス製の横垂片面行灯を同じく3面(横幅24M)、ステンレス製の袖看板を4本、これを見積り期間を入れて1ヵ月半で完成させるようにご指示いただきました。さっそく、ビルの実測から始め、図面と見積りを提出し、次の日には発注をいただきました。しかし、これだけの仕事量(見積り金額も一桁多い)をこなすには私の担当としてはもちろん初めてですし、当社のような小さな会社からすれば4ヵ月位の売り上げに匹敵する程の金額でしたから、当然数多くの協力会社の力を借りて、やっと納期の2日前に完成させることができました。ちょうど15年前でバブルの真っ最中で、今では夢のような仕事でした。
 その中でも父である会長の人脈は大したものでした。当時、私にはとてもお願いできる協力会社が少なく悩んでおりました所、すぐに図面を持って私と一緒にお伺いして、どこもバブルで忙しいところ、無理矢理?に引き受けていただいたのも、すでに他界した口数の少ない父の想い出の一つです。
 もう一つ若い頃のつらい思い出といえば、入社5年目位に島根県の浜田市にパチンコ店の仕事が入り、当時はネオンサイン球を多く使い、派手な点滅をさせていたものでした。
 ネオンとか自立サインは順調に仕上がっていきましたが、オープン2日前に試験点灯したら、サイン球部分のテンパールが落ちる!さあ、これは大変!!サイン球を500〜600個ぐらいに使用したために、全員が一緒になって建物に巻いているダクトを1本1本外して、目で調べたところ、たった1ヵ所テーピングが甘く、それが原因で漏電を起こしていました。すぐに直してお客様にOKをもらったのが、オープン前日の夜でした。間に合わなかったら、大変な事でした。社長たちも5日の予定が一週間の出張となり、奥さんが着替えを届けたりしているのを覚えています。私も足場の上に上がったり下がったり、営業の現場と辛かったけれども一つ一つが新鮮で勉強にもなり、今でもいい想い出、いい経験になりました。
 最後に母の存在ですが、亡き父を陰ながら助け、いやな顔一つせず今は私を励まし応援してくれて、口に出すのは照れくさいけれど、感謝の気持ちで一杯です。隠れた女社長とでもいいましょうか(笑)。母なくして会社の存在はないと思っています。この奮闘記は、会長も投稿させていただき感謝しております。
 ネオンにはネオンにしかない「輝き」があります。その輝きを消さないよう、皆様と一緒にがんばっていきましょう。

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