危機突破・あの時のこんなこと

 

5代にわたる変遷をたどる

  朝日電装(株)坂井祥浩

 商都大阪を代表する繁華街“ミナミ”。上方演芸をはじめ芸能、娯楽が今日まで綿々と受け継がれている大阪文化の発信地であります。道頓堀川界隈は、川面に映るネオンサインにとって抜群のロケーションであり、数多くの演歌にも唄われ、人の心に残り、その知名度は高く来阪観光客のメッカです。この川に架かる戎橋の通行量は一日平均約20万人、休日には約35万人を数えます。
 道頓堀川も周辺には数々のネオンサインが古くから夜を彩り、川面を染めてその時代時代を語ってきました。中でもネオン管での装飾、「ネオンサイン」が普及し始めて間もない昭和10年には早くもこの戎橋の袂に隣接し川に面した位置に高さ33Mの巨大な「グリコ」の広告塔が出現したことによって、大阪人のみならず全国に話題と知名を提供し、そしてその宣伝効果は計り知れないものがあったと記録されています。
 ランナーがゴールする「グリコサイン」はその時代を写しながら姿を変え、現在の姿は5代目ではありますが大阪を代表するサインであり、又、ネオンサインの歴史でもあります。
 一粒300メートルのキャッチフレーズで大阪道頓堀川戎橋に登場してから68年間にわたる歴史をご紹介いたしましょう。

道頓堀のグリコネオン塔の歴史と概要

初代 昭和10年代(写真1) 2代目 昭和30年代(写真2) 3代目 昭和38年(写真3)

 <初 代:昭和10年> ※写真1
 歴代独立広告塔最長の高さ33Mを誇るネオン塔。トレードマークのランナーとグリコの文字を6色に変化させ、同時に毎分19回点滅する花模様を彩ったものでした。当時としては型破りのネオンで一躍大阪ミナミの名物となりました。

 <2代目:昭和30年> ※写真2
 1943年(昭和18年)、戦況が厳しくなり鉄材供出のため撤去されてしまいましたが、戦後の1955年(昭和30年)、2代目が再建されました。ネオン塔は砲弾型の下部に特設ステージを持つユニークなもので、そこでは人形のワニ君がピアノをひいたり、人形劇を演じたり、ロカビリー大会を催したりしました。(砲弾型の外部とマーク部の円型は電飾球、商品名はグリコ、ビスコを箱体で回転表示、点滅器はドラム型)

 <3代目:昭和38年> ※写真3
 1963年(昭和38年)には3代目にバトンタッチ、噴水ネオン塔になりました。12トンの水が、トレードマークの中心部にある150本の水車状のノズル(高さ18M、横8M、2層からなり左右に回転)から噴き出し、12色のランプ400個が噴水を照らして、きれいな虹の模様を描きました。落下した水はまたポンプで上のタンクに戻す仕掛けになっていました。(周囲の間接照明ネオンは開発されたPS工法にて施工、落下する水の音はコンブリバンドにて消音)

4代目 昭和47年(写真4) 5代目 平成10年(写真5) (写真6)
写真提供 江崎グリコ(株)広報部

 <4代目:昭和47年> ※写真4
 高さ17m、横10.85mで1972年(昭和47年)に建設されました。バックになっている陸上競技場のトラック部分を点滅させ、トレードマークのランナーに躍動感を持たせたネオンでした。このネオン塔は、日没から午後11時までネオンが点灯し、競技場の中央コースからゴールインするランナー姿が川面に映え、看板を背景に記念撮影するほどの名物看板になっていました。隣接するビル建替えに伴い、1996年1月21日(日)に消灯し、その翌日から撤去しました。

 <5代目:平成10年> ※写真5
 1998年(平成10年)7月6日(月)、4代目の撤去後、約2年ぶりに再点灯されました。陸上競技場のトラックを走るランナーの背景には、大阪を代表する4つの建物(大阪城、海遊館、大阪ドーム、通天閣)が描かれています。また、バックの情景の色が変化することで、朝、昼、夕焼けそして夜と、ランナーが大阪の街を一日かけて走っているような姿を表現しました。
【大きさ】高さ20.00m、横幅10.85m
【ネオン管】総数約4,460本、延べ5,100m。全7色
【点灯時間】日没30分前に点灯、24時に消灯点滅方式はコンピュータ制御の電子点滅。

 約70年間にわたる時代の変遷とともにロゴ、マーク、形状、配色、点滅等は大きく変化しながらも大阪ミナミの周囲環境に合わせた大阪の顔を象徴する自信と配慮が十分加味されたデザイン構成になっています。特に5代目はネオンの点滅と調光による表現でストーリーが語られ、橋の上に立ち止まる人を楽しませています。また、昨年(2002年)のワールドカップが開催された折にはランナーを初めて日本代表を応援する、ブルーのユニホーム姿に期間限定で着用させて全国に話題を提供しました。※写真6

 道頓堀界隈、この大阪の繁栄と企業の発展を示すネオンサインの鮮やかな輝きの中でも常に主役を演じているこの歴史的な「グリコネオンサイン」。全国から“大阪ファイト”の温かいご声援を戴き、愛され続けてきたこのネオンサインを弊社は2代目より管理・担当させて頂いていることに誇りを持ち、いつまでも美しい夢のあるネオンサインの製作・管理に情熱を注ぎ一層の努力を重ねる所存であります。


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