私のネオン屋稼業奮戦記

 Vol.61
まだまだ序の口、第二部は10年後
     四国支部 高知ネオン電飾(株) 渡邉 和博

渡邉 和博さん 我社は創立46年をむかえました。先代が築き上げた城を引き継いで私も早10年が過ぎました。といっても、たった10年のまだまだひよっこです。ネオン屋稼業を語るのはおこがましいのですが、私なりの奮戦記をお聞き下さい。
 私、生まれも育ちも大阪です。高知へ来るなんて夢にも思いませんでした。平成5年に先代が急死し、縁あって私に「会社の存続」という大きな白羽の矢が飛んできました。ネオンのネの字も知らないまったくど素人の私にできるのだろうか?まして、知らない土地で……。
 悩んだ末、半年後入社、そして1年後社長に就任しました。
 当時、仕事は非常に少なく、私にとって顧客の開拓が苦痛の種でした。新築の現場を見つけては営業に出かけ、見積りまではしても契約になかなか結びつかない。
 それでも、みんなの生活がかかっています。へこたれてなるものか、今に見ていろと心に決め、昼は営業に廻りながら現場に出かけ皆の仕事を手伝い、工場ではネオン加工、板金加工、塗装の勉強。夜は図面と見積もりの勉強と…これがまた大変。図面の製作は先代の図面を横に置き、写しているような状態でロゴマークなどはコピー機で縮小、拡大して貼り付けたりと非常にお粗末なものでした。
 これではいけないと思いワープロが少し出来る程度の私でしたがCADを導入し、毎晩、夜中までコンピュータ相手に悪戦苦闘の毎日でした。
 42歳の私には至難の業でしたがそのうちに、図面やデザインや見積りだけでなく給与計算、決算書類といろいろと出来るようになり、この頃からやっと経営というものを理解できるようになりましたが、経営していく事の難しさはまだまだこれから大変だと思いました。こればかりはコンピュータでは出来ません。
 やはり心が大事ですよね。皆様に信頼していただけるように誠心誠意頑張って、良い商品を納める事が一番大切な事だと思い、今日までまいりました。
 最近は街全体においてネオンが少なく、さみしくなってきておりますが、やはりあの華やかできらびやかなネオンは何といっても「夜の王様」です。王様なくては我々兵隊は生きて行くことも大変です。景気の回復を願いネオンの復活、上昇を願っている今日この頃です。
 何はともあれ、私の経営奮戦記はまだまだ序の口です。常に勉強し努力し、これからはもっと大きな私の城を築き上げていく奮戦へとすでに進み始めております。
 以上を第一部とし、第二部はまた10年後お聞き下さい。

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