インタビュー

宮崎  桂 氏
常に新しい提案を
宮崎 桂氏
みやざき・けい 東京生まれ。東京芸術大学、同大学院修了後、粟辻博デザイン室を経てデザイン事務所を設立。サイン計画、色彩計画、グラフィックデザインなどに携わる。2003年、「壁と床の連続サイン」でSDAグランプリ、経済産業大臣賞受賞。「電通本社ビルサイン計画」、同優秀賞受賞他、受賞歴多数株式会社KMD(Kei Miyazaki Design)代表取締役。
 早稲田通り近くにあるKMDのオフィスを訪ねました。シンプルなモノトーンの外壁、枕木を敷いたエントランス先のドアを開けると目線より低い書架で仕切られたオープンスペース。資材や資料も展示の一部のように見せるせるおしゃれな空間です。
 サインデザイン界第一人者として全国を飛び回っている宮崎桂さん。さぞやお忙しい毎日を…いえいえその表情のなんとたおやかなこと。揺るぎない決断力を包む柔らかさを感じました。 
 サインデザイナーとして、数多くの仕事をされ、SDA(社団法人日本サインデザイン協会)を初め多くの賞を受賞。2004年は安曇野高橋節郎記念美術館で SDAサインデザイン準優秀賞、2003年は香川県の「香南町保健センター・社会福祉センター」で大賞受賞。床と壁の連続デザインは、壁から床へ目線と動線の連続性が子どもからお年寄りまで誰にでも分かりやすく、ポップな楽しさを持つサインです。この作品は同時に経済産業大臣賞受賞。また2004年度グッドデザイン賞も受賞しています。
 また同年の「電通本社サイン計画」ではSDAの優秀賞を受賞。サインデザイナーとして“ボーダレス、エンドレス”という J・ヌーベルの建築デザインのコンセプトを受け継ぐかたちの、どこからどこまでが建築で、どこからどこまでがサインかといった「境界」へのこだわりを取り払った作品として話題を集めました。

―― 1昨年のSDA受賞式の時は何回も宮崎さんが登場されるので驚きました。数々の賞を手にされた宮崎さんですが、サインの仕事をなさったのはいつ頃からですか?
 テキスタイルデザインの粟辻博デザイン室で仕事をしていまして、出産を機に84年からフリーになって、本格的にサインをというのは94年からですね。テキスタイルといっても建築や空間を意識した仕事が主だったので、サインと無縁ではないですね。

―― 宮崎さんの仕事は、設計段階から関わることが多いのですか?
 いろいろですが、建築設計は基本計画と基本設計があって実施設計を経て着工し、監理となるわけですが、サインはその初めから加わっていることは多くはないですね。着工してしまってからという場合もしばしばです。香南町の場合は実施設計段階からですが、途中からの参加となると予算もあり厳しい制約があります。受注は、だいたいは設計側からの依頼ですることが多いですが、クライアントから直接という場合もあります。
 建造物にサインは必ず発生しますよね。個人住宅の表札やポストから案内板や大型サインまで。でも、どの仕事でも100%思い通りになるということはないじゃないですか。それでも、これだけは譲れないものはなんとかして守ります。それと常に新しい提案をすることを心がけていますね。香南町の場合はピクトや矢印を象眼したゴムタイルの新しい提案をしています。このゴムタイルは20年ぐらい前から使われている物ですがサインとして使ったのはうちが初めて。

―― ゴムタイルというのはとても珍しいように思いますが。
 いいえ割によく使われています。サインとしてではないですが。空港の床やエレベーターの床とか。一般的には床材はあまり意識しないですからね。今までも提案は何度かしてきたのですが、香南町のケースが初めてになります。床材の面積は大きいですからね、初めから予算が組めないと難しいですね。コストはかかりますが、強度もあり半永久的に使えます。
 やっていても“試み”がないとつまらないじゃないですか。いろんなところで、いろんな試みをしています。

中部国際空港ターミナルビルの模型写真
中部国際空港ターミナルビルの模型写真
―― サインデザインを仕事とするのは狭き門なのではないですか?専門の教育機関はありますか?
 専門の教育機関はないですね、視覚伝達デザイン学科が割に近いでしょうか。サインの仕事は難しいですね。要求されることが多岐に渡っています。スタッフはグラフィックと建築を学んでいますね。グラフィック的なものとプロダクト的な要求、実際のものの安全性、耐久性、使い勝手など、それに建築の知識、どちらかというとこれは体験的に会得していくものですが、それも要求されます。たとえばトイレのサインひとつとってもいろんな人がいろんな意見を言いますよね。サインとして分かりやすいとか、分かりにくいとか。日本人と外国人のサインのとらえ方も違いますね。得てして日本人は親切にされてあたりまえのお国柄からか自己責任の意識が低いといえるのではないでしょうか。日本人は分からないのは自分の責任ではなく、相手の責任だとしてしまうんですね。でも外国に行くとそんなことは自分で探せ、みたいなことあるじゃないですか。
 分かりやすい建築と分かりにくい建築ってあるんですよ。例えばすぐ目に付くところにドアがあって、ここから入ればいいという建築はサインは必要ないんですね。でも色々なところに入り口、出口があって入ってからも途中から何層にもなっていたり、まあそういう建物がほとんどですが、そういう時こそ、空間をわかりやすく導くサインが必要になるわけです。
 デザインに正解はないと思いますよ。回答の出し方ケースによって違いますね。

―― 今とりかかっているのはどんなお仕事ですか?
 だいたい、5〜6件の仕事を同時進行でやっていますね。小さいものから大きいものまで。頂いた仕事をどうやって仕上げていくか、それだけで精一杯ですが、楽しみでもあります。

―― たくさんの仕事を成功させてこられた秘訣はなにかありますか。
 優先順位の判断が早いことはあると思いますよ。そのためにもプレゼンテーションはわかりやすくすることを心がけています。
 昨日(取材は2月18日)オープンした中部国際空港ターミナルビルの色彩計画を担当しました。これは建築設計側からの依頼でしたが、コンセプトは「和」です。プレゼンテーション用の模型は畳1畳分ぐらいにもなりました。壁、床、カーペットは色にこだわって特注しました。

―― 常に提案されているのですね。今日はお忙しいところありがとうございました。

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