ネオン前線北上中

 
 うちの看板娘 5 
看板取り付け等
四国支部 (有)瀬戸内ネオン
瀬尾トミエさん
瀬尾トミエさん  まさに「はりきり母さん」瀬尾トミエさん。ご主人の瀬尾清さんと40年の確実な歩みは夫唱婦随です。
――ずっと一緒に仕事をなさっていたのですね?
 昭和40年4月1日に独立した時からです。最初は大変でしたよ。同い年なので、お互いに28歳。20万の借り入れを払い終わるのに3年かかりました。アパートで仕事を始めて、隣の部屋に従業員を住まわせたりと、振り返ってみますとあっという間の年月でした。
――二人三脚ですね。
 開業当時は従業員も少なく、主人の仕事に時間関係なく「下手間」としてついて行き、一人で文字のフィルム貼りもしていました。今は子ども達も一緒に働いています。息子は曲げ、現場、パソコン。娘は事務全般を任せられるようになり、フィルム貼り、現場の手伝いと二人とも何役もこなしてくれて頼もしい限りです。
――一人何役も大変ですね。
 子供が成長するまでは子育てしながらですから、大変と言えば大変ですが、若い頃は苦にならないもので、子育てと仕事の合間にPTAや自治会の役員など、色々と勉強させて頂きました。
――ご趣味は?
 20数年日舞をやっています。お稽古の土曜の午後は楽しみでめったに休みませんよ。30分踊ると汗びっしょり。それと読む事が大好きで、本でも新聞でもなんでも気になるところはスクラップして家族皆で話題にしています。
 あったかくて、頼りがいのある「昔の看板娘」(ご本人談)です。

 

 
 う・ち・の・会・杜 82 
関西支部 松王商事(株)
松尾耕爾さん

松尾耕爾さん 道路標識の製造会社を退職した先代の松尾幸市さんが昭和36年に独立開業したのが、現在の松王商事(株)です。
 創立当時は、原寸原稿を書き、手作りの道具にかみそり刃を挟んだ物で切り文字をする。アプリケーションと呼ばれる転写シートも無く、紙テープを幾重にも貼り付けて工夫するなど、現在からは想像もつかない程、原始的な手法が一般的でした。
 しかし先代は、いち早くカッティングマシーンを導入。現在もインクジェット出力・施工、マーキングフィルムの加工・施工を専門に扱っています。
 社名の由来をお聞きすると、「恐らく父のこと、個人名をもじった単純は発想だったのでしょう」と二代目の松尾耕爾社長。
 従業員は8名。「社の雰囲気はアットホームですよ。従業員それぞれの家庭を大切にする事を心掛けています」
 一つのミスはさらなるミスを呼ぶので常にミスの予知と対処方法を考慮しながら仕事を進める。これが課題。これからもお客様に安心して頂ける仕事をすることを心掛けます。

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