インタビュー

浅井愼平 氏
ネオンって懐かしくて響くものがあるよね
浅井愼平氏
あさいしんぺい 1937年生まれ。「ストリート・フォトグラフ」「ビートルズ・東京」の写真集で注目される。チャック・ベリーの撮影で東京アートディレクターズクラブ最高賞受賞。写真表現の他に文芸、音楽、映画、工芸など多方面で活躍中。現在、大阪芸術大学教授。
―― 環境問題について発言なされているのをメディアなどでよくお見かけします。首都圏エネルギー懇談会のメンバーとして、東京商工会議所千代田支部と関ネ協の共催で記念講演会もありました。きっかけはなんだったんですか?
 15年位前に雑誌の取材で、日本全国の川、海、湖を訪ねて写真とエッセイ。これが「遙かな青い水」(PHP研究所)という本になったんです。もう絶版ですが、これがきっかけかな。その前から、社会的なテーマになりつつあったんでしょうね。
 仕事柄あちこち旅することが多くて、僕の専門じゃないんだけれど、人より先にそれに気が付いたということはあるかもしれない。“時代”ということが結局一番大きかったのではないでしょうか。
 水をテーマに取材するといやでも環境の問題に触れていくということがありますね。

―― 地方の河川フォーラムなどでもパネラーとして発言されていますね。
 ええ、僕が子どもの頃は川も池も海も遊び場だった時代ですからね。自然に近いところで子ども達が過ごすことができた。そういう経験がだんだん出来なくなってきた。
 今回の愛知万博「愛・地球博」のテーマは自然環境でしたが、企画を立ちあげた時はITだったんです。僕は反対して「自然環境」というテーマを主張していたんです。最終的にはそれに変わった。結果的にそうなったから良かった。そういうふうに発言していくことは小さな力になっていくんですね。市民運動もありましたしね。僕は万博そのものにも反対なんですが、これにはまあいろいろ理由があるんですが…。
 瞬時に情報が手に入る情報化の時代に何のための博覧会か?これにも反対という声をあげたのはとても少なかったんですよ。
 僕の環境についての発言は、いやでもそのことに触れないわけにはいかないからです。近代文明自体が環境を破壊するという認識が僕たちにないといけないということ。僕が色々な機会に話しているのは「一度立ち止まる必要があるよ」と言っているだけなんです。あまりにも多様な問題があるので市民としてはどう関わるかがものすごく難しいですね。やっかいな問題が入り組んで「時代」という妖怪みたいなモノに関してわれわれはどんな風に考え、受け入れる、あるいは受け入れないという判断をしていくのか。情報の洪水の中にいる。今の情報は非常にこう「うさんくさい」というか、疑ってかからなければいけないことが多すぎる、そういう余裕もないというのが現実ですね。

―― お仕事柄あちこち行かれること多いんですね。著書も旅に関するものが多いですね。ネオンもよく撮られているとか?
 ええ、写真家になってからホントに旅が多くて、気がついたら年間100日以上移動する日々でしたね。今はさすがにそんなことはないですが、移動する日々ですね。旅が僕の仕事のようなものですから。
 ネオンそのものは結構好きですね。どちらかというとネオンというのはクラシックですね。懐かしくて、アンティークのように自分の中に響くものがある。
 日本では、ネオンが夜の代名詞だったのがそうじゃなくなってきて、それがヨーロッパに行くとまだネオンがある、あぁ日本もかつてそうだったなって…。こいうことが多分、写真を撮ってるきっかけ。日本のネオン、看板はアジア的というか、街も同じなんですが、みんなが「おーい」と声出して主張しているから逆効果になるのでは。ヨーロッパのネオンが好きですね。
 10月末にソニーから DVD「1975HOBO」が発売になりました。かつてアメリカやヨーロッパの旅の中で見た光景を撮ったものですが、ネオンの風景がたくさん入っています。

「1975 HOBO」
DVD 3,990円(税込み)49分
浅井氏自身が選んだ写真を、本人の監修により構成した映像を収録。所々に氏のショートエッセイを盛り込み、写真にはデジタル処理を施した高画質映像。
BGMはエリックサティー、ショパンなどのクラッシク曲を浅井竜介氏がオリジナルでアレンジした楽曲。

―― 1975年というと、今から丁度30年前、浅井さんは30代ですね。

 ネオンサインを意識して撮ったというより、たまたま撮った中にネオンサインが結構あったんですが…。( DVDを観ながら)

―― なにかノスタルジックで、音楽も雰囲気がありますね。
 30年前ですから、もちろん DVDにする気もなく撮ってますからね。面白いものですね。

―― きれいですね。英文字がいいのでしょうか。このネオンサインは現在ではほとんど残ってないんでしょうね。
 残ってないでしょうね。あまり考えないで撮ってるからね。当時こういう写真のカテゴリーはないから、撮った人はあまりいないと思うんですよ。日本のネオンもかつて欧米のコピーをしていた時のネオンのほうがむしろよかったのでは。
 日本のデザイン的なセンスのピークは80年代で終わっちゃったのでは。グラフィックデザインも、写真もレベルダウンした。技術という点ではコンピュータ化されていくことでどんどんだめになっていった。オペレートしていくだけだから。1970年代のものが今も鑑賞に堪えるというのは、コンセプトがなければ残らないでしょ。デザインの力は大きいと思います。
 今は人間がコンピュータに使われていますからね。

―― 貴重な映像ですね。その時代に連れて行ってくれるようです。

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