ネオンストーリー

 
  こころの玉手箱「四谷・坂町」
高樹のぶ子 日経新聞 2006年9月6日


 四谷・坂町は、その名のとおり坂の町だ。九番地は坂道から軽自動車がようやく通れるほどの路地を入ったところなのだが、買物はいつも坂の両側にある店だった。角の豆腐屋、その斜め向かい側は中華ラーメン店。この店でラーメンを食べているときテレビで日産サニーの名称発表を見た。名称を決める著名人メンバーの中に曽野綾子さんがおられたのを、鮮明に覚えている。『オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート』が流れていた。
 坂を少し下がれば右側に肉屋があった。そこのメンチカツは美味しかった。
 目を上げれば雪印本社の広告塔が目に入った。当時はネオンサインが白い輪になってぐるぐる回っていた。四ツ谷駅近くの三角公園から、夜遅くまでこの白い輪を見上げていたことも何度か。もちろんボーイフレンドと一緒だった。東京に出て初めて恋愛した相手で、後に結婚し、離婚した。

 
 

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