インタビュー
成熟化社会へのキーワードは「市民」

中西元男氏

中西元男 さん
POAS 代表

1938年、神戸生まれ。68年に(株)POAS 設立。海外でもニューヨーク、ボストン、北京、上海に相次いで現地法人を設立。国内外大学、企業、団体での講演多数。主な著書に「DECOMAS(経営戦略としてのデザイン統合)」三省堂、「CI革命」朝日新聞社など他多数。毎日デザイン賞、第1回勝見勝賞受賞。昨年まで3年間Gマーク審査委員長を務める。

 新たに世界のグッドデザイン情報の提供や商品販売仲介をする会員組織(株)ワールド・グッドデザイン(WGD http://www.WorldGoodDesign.net)を旗揚げした。

 POASは1970年代初めからCI、経営、デザイン戦略コンサルティング業務を展開、その数は100社にも及びます。日本に於いてのCI第1号マツダの他、小岩井、INAX、NTT、NTTDoCoMo等々あらゆる業種のCIを手掛け、数多くのサクセスストーリーを実現させた、POAS代表中西元男さんに伺いました。 

──最近、CIの延長としてネオンサインがあまり使われなくなってきたように見えますが

 CIの中でサインにネオンを使ったことは結構あるのですが、あくまでもサイン体系の中でロゴやマークを中心に使ってきた。場所とか手法などの中で結果として使われたケースですね。ネオンとして格別に意識して使ったわけではないのですが。ある時期まではサインの中の一番の主役はネオンだったんじゃないでしょうか。

 デザイン表現にデジタルが使われてくるようになり、グラデエーションなど微妙な階調が簡単にできるようになり、微妙な階調の作品が多くなった。その結果、デジタル表現をネオンでやろうとすると不可能に近い。例えば写真のような階調はできない。デザイン表現でデジタル化が多用されていくとネオンというのは段々対応巾が狭くなってきた。ネオンは面と面の差がはっきりしているマークなどには向いていると思います。ただ最近はマークも最初から階調を持ったものも出てきていますから。

 コストとメンテナンスの問題もあるでしょうか。ただ、遠藤享さんのオリンパスはネオンのデジタルの時間差のコントロールをうまく利用して、パソコンでインプットしたデータを使ってネオン管を使ってやるという意味では、ひとつの試みですよね。

──屋外サインについてのご意見を聞かせて下さい。

 目立ちたがり競争というのが盛んに行われるんですが、屋外サインはある意味、公共のものという意識を持って欲しい。これはネオンサインに限ったことではないですが、美的な問題に対して公共益の意識がない。エゴ優先になってしまっては景観の美しさは生まれない。たとえ個人の家であっても建物の外側は自分のもの以上に街のものであり、同時に社会のもの。日本の場合、大きな声でがなり立てた方が勝ちというか、変なものを許してしまうことがありますね。

 外国だと、例えばパリのオペラ座の周りは絶対に色を使わせない。夜、光るのも白色しか認められない。そういう規制は日本ではなかなかないですね。イタリアでも建物の中に入るとそれぞれがすごく工夫を凝らして個性的ですが、外側は造られた当時そのままを守らせる。ギリシャの島々の住宅は近くに寄ってみると粗末なものですが、全部真っ白に塗ってあるというそれだけで風景としては非常に美しい。公共財という考え方ですから。日本の場合はその意識がないですね。お金出してやるんだから、よそより目立ちたいとみんな考えますから。昔、江戸時代などはそんな我が儘はなかったじゃないですか、村が村としての性格をきちっと持って、それをみんなで守っていた。

──日本でも行政の指導、規制が最近は厳しい状況になってきましたが。

 そうですね。それなら協会が自らもっと美意識を高めるような仕組みをつくればいいと思うんですね。

 アメリカのサンディエゴ市は1930年代終わりから都市再開発をやっているんですが、元は軍の街で殺伐としていた。今は街の建築物を毎年市民が投票している。「これは素晴らしい」というものと、「こんなものはもういらない」というものを投票する。建築家協会主催のクリスマスパーティーの時にそれを開票する。非常に誉められた建物を造った建築家はオーキッド賞(蘭の花)、もう一つはオニオン賞(玉ねぎ)鼻つまみです。それをユーモラスにやるんです。べつに潰せというわけではないけれど、市民は意識を持って見ますし、建築家もなるべくならオニオン賞をもらいたくない。ネオン協会も、そういうことをやっても良いんじゃないかと思います。表へ出ると色々問題があるかもしれませんから、どこかが主になって、サブ的立場で、良い物を誉めてあげるという方向にする。そうすると、ネオン業界が良い街のサインを造っていくことに対して、姿勢を示したということになりますからね。ある種の市民運動です。今までは市民というと、○○市に住んでいるから市民ということで、顔の見える市民ではなかった。個々の市民が自分の美意識を持って行動するとか、自分たちにとって良い物を造っていく方向にみんなが動いていく市民運動になっていけば面白いんじゃないでしょうか。

──「企業化社会から市民化社会」や「企業の市民化」など市民というフレーズが中西さんの著書にもよく出てきて、意外に思いました。

 日本の近代国家をつくっていく中で一番遅れてきた部分じゃないですか?これまでは『市民』といったら殆ど群市民で、個々の人達が自分たち個市民の問題として考える形になっていない。明治維新というのは日本にとっては大変な近代革命だったはずなんです。ところが婦人参政権と議会制民主主義という、西欧の市民主義の成果としてみんなやっているものを捨てたわけです。貴族院議員をつくったり、女性は参政権が無かったりしたわけですから。『市民』を無くしてしまったわけです。本当は近代革命は市民革命のはずなんですが、市民を外して革命をやったようなもの。取り戻すのは大変なことです。日本が成熟化社会になるというのは、そこの変革が出来上がっていかないと。

 「デザインはあらゆる分野の共通公分母」とはW・グロピウスの言葉ですが、世のすべての事象を「美しく快適に、そして安全に」というデザインが目指すところをよく表現していると思います。日本はもう少し美とか快適性にお金を投じるとか、そういうことを楽しむことを覚えていかないと成熟化はならないですね。確かにいい絵を観たりすることもいいのですが、それより街全体が美しくなったほうがずっとみんなが楽しめるはずですから。 

──今までCIに関わられた、例えばベネッセ。多摩センターという立地も面白いですね、お隣はサンリオ・ピューロランドですし。階段の上の社屋のエントランスにニキ・ド・サンファレのオブジェを配し、地下にミュージアム、屋上にはプラネタリウム。

 ベネッセは昔は福武書店といって、受験産業からスタートして、単なる受験産業で終わりたくないとの考えを持つのです。当時社長の福武哲彦さんにお会いしまして、我々は三つのキーワード「国際化・情報化・文化化」を将来の指針として提案しました。これは79年のことですが、先日も二代目社長の福武總一郎氏と話したんですが、特別の意味を持っていたのは文化化だろうと、20年も前から企業は文化に貢献すべきだと経営方針の中に入れて考えてきた。日本の企業はお金を沢山儲ける会社はあったけれど、お金の使い方を知ってる会社があまりにも少なかった。そのためにバブル経済を招き、お金を使いながら尊敬されないという結果になってしまった。

──著書の中で、新宿副都心を30年間定点観測した写真が載っていますね。すごい記録ですね。ちょうど中西さんが会社を興こされた頃からですか?

 そうですね69年からです。今年の7月10日で32年です。このときに新宿と多摩と両方撮影しようとしたんです。日本で一番変化していく所を撮ろうと。ところが多摩はもうだだっ広い草っ原でカメラを据えるところがない。一方新宿はちょうど良い場所があった。都営住宅の先に14階建ての当時としては珍しい高層の建物の屋上から撮っているんです。今度手前に同じ14階の建物が建つようですからもう難しいかもしれません。定点観測というのは気の長い話しで、持続していくのは大変ですが、あとから誰かやろうと思っても、もう絶対できない。日本の高度成長期の貴重な証しですから。

──社会の成熟化は「市民」という視点がキーワードなんでしょうか。本日はお忙しいところありがとうございました。

POASによる新宿副都心定点観測 30年の激変
アングル設置・撮影は山田 二。その後垂水健吾、田中一光、嶋村秀人と引き継がれている。
69年7月
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71年9月
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77年12月
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87年11月
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00年7月
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