ネオンサインから、エレクトリックサインに変化しようとする中で、
ネオンサインがどのように発展してきたかを紹介します。


 

 1900年代初頭 パリ万国博覧会 
 ネオンサインは、フランスの科学者ジョルジュ・クロードにより完成され、1900年代初頭パリ万国博覧会で公開されました。日本で初めて国産ネオンが東京の日比谷公園で公開点灯されたのは、パリ万国博覧会で発表されてから十数年後の1926年。現在から半世紀以上昔のことです。それ以前の日本では、色電球によるイルミネーションが主流でしたが、ネオンサインの普及により点光源から面光源へと屋外広告の変革をもたらしました。

 1964年 東京オリンピック 
 ネオンサインは、戦後の日本経済の発展と共に歩んできました。特に高度経済成長のシンボルともいえる東京オリンピック以降は、屋外広告に対する需要が飛躍的に伸び、それにともなう技術革新も様々な面面で行われました。それは、その当時の経済発展を表現する映像に、かならずと言っていい位ネオンサインがあふれる街の情景が映しだされていることからもわかります。いわば、ネオンサインは、平和と経済発展の象徴だったといえるのです。


ネオンサインからエレクトリックサインへ 深層心理に訴えるネオンサイン リアルタイムに伝えるエレクトリックサイン







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