サイン屋稼業奮戦記

 Vol.149
情熱を前面に出す
    関東甲信越北陸支部 イケダネオン(株) 池田壮之介

池田壮之介さん 関東ネオン業協同組合の第3支部に所属しております埼玉県のイケダネオン株式会社と申します。弊社は埼玉県の南西部、新河岸川と柳瀬川が流れる志木市の外れ、大きな荒川を横目に見る宗岡という町にあります。
 広島県出身で熱狂的なカープファンであった私の父が1972(昭和47)年に創業し、東京都の板橋区にあった長屋の貸工場を経て1985年(昭和60)年に現在地である志木市に移ってから35年、お陰様を持ちまして創業からは48年が経とうとしております。
 私が父より代表のバトンを受けいだのが4年前の2017年、その翌年に父は病に倒れ残念ながら一昨年11月に他界いたしましたが、従業員一同故人の教えを大切にし、引き続きお客様の為に一丸となって業務に邁進して行く所存ですので、変わらぬご指導ご鞭撻の程、改めて宜しく御願い申し上げます。
 私は幼い頃から工場に出入りし、昼も夜もなく稼働する工場や休むことなく働く父や職人さんを見ながら、時には錆止めを塗るのを手伝ったりひっくり返したり、基礎工事の穴を掘る父のユンボに同乗したり、夜中に満載のネオン管を届けさせられる母の運転するトラックに揺られたりしながら育ちました。
 学生時代になっても相変わらずで、模擬店に出店するダンボールの等身大ロボットを工場に持込みペンキを塗った小学生時代、ラジコンのプラスチックのバンパーが割れればステンレスの端材を使ってコーナーシャーとプレスで作り直してもらった中学生時代、バイクのヘルメットが傷めば自分でパテ処理後PG-80を吹き付けしたり、所属集団のチーム名?をカッティングシートで製作した高校生時代、そして休日には工場や現場のお手伝いに駆り出され、自然に社業を家業と身近に感じ、何よりも看板屋の業務を楽しいものだと親しんで参りました。両親は、出来ればこんな大変な仕事ではなく違う仕事に就いて欲しいと願っていたようですが、気付いた時には自然と会社の一員として働くようになっていました。
 業務を初めた頃は、まだ一度外出すれば会社との連絡手段は携帯電話ではなくポケットベルと公衆電話がメインで、調査や現場も使い捨てカメラが欠かせない物でした。とにかく社外業務は手抜かりがあれば取り返しがつかなかったので、緊張感に溢れていた事ばかりを思い出します。当時は一つの仕事を完了させるのにどれだけ大変であったのだろうとも感じますが、それでもファックスの登場は現在のメールに、CADシステムは現在の描画ソフトに、ポラロイドカメラもきっと現在のデジタルカメラに匹敵する革新的なツールであったのだろう、などと楽しく思い馳せたりします。
 私がこの仕事に就いてから26年、インターネットやスマートフォン、何よりこの業務において最もありがたさを実感するストリートビュー等の便利ツールはもとより、業界もネオンからLEDへ、サインボードはサイネージへ、工作設備や機械もどんどん新しい物へと移り変わっていますが、どんなにLED光源が普及しても、やはりネオンの様な360度の面発光で屋外耐候性を備えたフレキシブルなチューブ光源は引き続き求められていますし、内照式看板であれば室町時代に産まれたとされる提灯もいまだに、耐候性や強度に工夫を凝らされながら360度面発光看板の第一線で活躍しているのが面白いです。
 やはり良いものは時代をまたいで必要とされ、時代に合せて引き継がれて行く物なのだと思う反面、近年の温暖化に始まり大震災やスーパー台風のような気候や環境の変化もありますので、やはり劣化や破損時に危険が伴う様な素材や、訴求力が高くとも環境や景観を損なってしまう存在は少なくしていかなければならないとも思います。
 その一方で、前述の通り私が創業者からバトンを受けてから4年目になりますが組織の在り方はだいぶ変わったと思います。
 決して言葉数は多くないが自らの人間性と決断力で皆を牽引し、皆は長を家長さながらに信頼し、時には恐れ、時には甘えながらも大きな目的意識を暗黙に共有している…と言った一家式、家族的な運営もとても大きなエネルギーがあり大切ですが(本音を言えばすごく羨ましい)、現在はやはりそこに言葉による説明や目的意識を可視化する手順を加える事が求められているのではないかと思います。
 社業に例えるなら、お客様に対する感謝の気持ちやオーナーの思いを形にする者としての責任、自らの仕事にベストを尽くした結果それが形として残り続ける喜びや楽しさ、そして結果的に会社組織や家族を守れる充実感を長が伝えながら組織で考え、共有していかなければ変化のスピードが速い時代に対応出来なくなってしまうのかもしれません。
 私は創業者の長男であり、社業は家業ではありますが、あくまでも複数候補の中から一時的に選ばれた継承者に過ぎないと考えております。継承者のすべき事は創業者のトップダウンを真似る事では無く、創業者の思いを深く理解した上で、倣うべき事と倣うべきでない事のバランスを取りながら伝わりやすい言葉と分かりやすい目標を示す事だと思います。組織で良いと思う事は即実行し、上手くいかなければすぐに止めて、また先人の知恵を借りながら新しい目標を示す…。それを情熱を持って続けて行く事だと思います。
 プロ野球の監督像も、近年では0を1に変えられる創業者タイプの監督よりもチームカラーや伝統などを継承しながらも目的意識を明確な言葉で表現し、伝える事が出来る監督像が求められる時代に変わりました。
 私は昭和50年、「太陽が西から昇っても優勝できない」とまで揶揄された広島カープが球団創立25年目にしてリーグ初優勝を成し遂げた年に生まれましたが、その時のチームスローガンが「情熱を全面に出す」だったそうです。私も情熱を全面に出しながら父が愛した広島カープを応援し、イケダネオン株式会社を大切にして参りたいと思います。
 末尾になりますが新型コロナウイルスが猛威を振るう中、治療や予防にご尽力されている医療従事者の皆様や社会機能を維持するために最前線で働いておられる皆様はもとより、自らも大変な中でも協会の維持発展に尽力されている皆様に心よりの敬意と感謝申し上げ、結びとさせて頂きます。



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